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危機管理室からのお知らせ

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高知県仁淀川町

■「救えるはずの命を救う!」
災害を伝承することの難しさ

昭和の三陸大津波【1933(昭和8)年3月3日午前2時半過ぎ】は、明治の大津波【1896(明治29)年6月15日午後7時半過ぎ】から37年後に起きました。まだ、多くの大人たちが恐ろしかった当時の体験を記憶しており、両親や近隣の古老などから、津波による惨状を聞いていたため、強い地震が発生したとき、津波の襲来を予想してすぐ行動を起こしました。
真夜中の厳しい寒さの中、住民たちは海岸に出て、海の様子を監視し始めました。そして、海水が沖へと引いていくのを見たとき、大声を上げたり、半鐘(ばんしょう)を打ち鳴らしたりして、住民に避難を促したのです。そのおかげで、どれだけの人の命が救われたか分かりません。その一方で、地震を体験しながら、避難しようとしない人々もいました。なぜだったのでしょうか?
大津波をもたらした昭和の地震では、明治の「津波地震」とは違って、各地で震度4から5の強い揺れを感じました。ところが、揺れが陸上では弱かったのに、大津波が襲来したという明治のときの体験から、一部の住民の間では「地震が弱いと津波は大きい。地震が強いと津波は小さい」などという誤った言い伝えが生まれていたのです。
「今度は強い地震だったから、津波は大丈夫」と勝手に思い込んで、避難しなかったために、命を落とした人もあったといわれています。災害を正しく伝承することの難しさを物語る一例だったといえます。
また、明治の大津波は旧暦5月5日の端午の節句、昭和の大津波は3月3日の桃の節句に発生したことから、大津波は「節句の厄日」に起きるというジンクスさえ生まれたということです。

問い合わせ:仁淀川町役場総務課 危機管理室
【電話】35-0111 防災アドバイザー 西森 冨士夫

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