■猿の惑星
1968年の映画『猿の惑星』を久々に観た。新たな発見がいくつかあった。その最たるものが、猿の社会でも「差別」が存在したこと。支配者がオランウータンで、その下にゴリラとチンパンジーがいる。知性がなく、しゃべることもできない人間は「家畜」だ。ここでは支配するために都合のいい政治を行い、時には武力や宗教を利用して、民衆を上手に操っている。何となくどこかの惑星に似ている。
宇宙船でこの星に不時着した主人公がしゃべるのを見て、オランウータンの執政官たちは現実を受け入れることができず、目を覆い、耳をふさぎ、口をおさえた。日光東照宮のあの有名な彫刻だ。経験したことのない事実を突き付けられると、誰もが、見ざる、聞かざる、言わざる、となってしまうのは今も昔も変わらない。
この星が核戦争で滅亡した地球の未来の姿であったことを知った主人公が、砂浜から突き出た自由の女神を見て、「ついにやってしまったか。愚か者ども。」と叫ぶところで映画は終わる。上映から56年経つが、このシーンが「今、そこにある危機」に思えてならない。
四万十市人権教育・啓発講師 光内真也
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