■文化財とは
文化財とは、私たちの長い歴史の中で生まれ、育まれ、今日まで守り伝えられてきた貴重な財産のことです。建造物や遺跡、美術工芸品の他、生活や慣習、貴重な動植物なども文化財に含まれます。これらの文化財は、地域の歴史、伝統、文化などを理解するために欠かせないものであり、将来の文化の向上発展のためにも後世に守り伝えていかなくてはなりません。
文化財は文化財保護法、都道府県や市町村の文化財保護条例に基づき、指定・選定・登録することにより保護されています。一度失ってしまうと二度と取り戻すことのできない、かけがえのない地域の財産です。そして大切に守り、活用していくことが求められています。
■南部町に伝わる文化財
南部町は豊かな自然に囲まれ、隣接する出雲国等の重要な地域との関わりの中で文化が発展してきました。法勝寺宿や手間宿など、宿場町として上方文化の影響も受けながら独自に育んできた伝統文化は、文化財として今もその姿を伝えています。
鳥取県は全国で5番目に遺跡が多く、古墳の数も全国2位です。ここ南部町にも数多くの遺跡や古墳が存在します。古代からこの地で人々が暮らしを営み、地域の風土に合わせて工夫しながら長い歴史を紡いできたことがわかります。
今月は、ここ南部町で大切にされてきた地域の誇りである文化財と、それらを守り伝える人々の姿をご紹介します。今に伝わる文化財に触れ、南部の歴史に思いを馳せてみませんか。
■西部地域の中心地だったかもしれない?
文化財の視点から見た南部町
米子市役所入庁後、発掘調査を中心に文化財保護事業に長く関わってこられた、下高さん。南部町内の遺跡発掘調査にも多数携わるなど、南部町の文化財との縁も深い方です。数多くの市町村に関わってこられたその経験から、改めて南部町の文化財について伺いました。
米子市埋蔵文化財センター
館長 下高 瑞哉 さん
◇南部町との関わり
最初に関わったのは、平成元年の春でした。現在の原工業団地を造成する時に、遺跡があるということで発掘調査が行われました。出勤前に現場に寄って発掘をして、終業後にまた作業をしたことを覚えています。他にも発掘調査で関わっていて、例えば越敷山遺跡群(荻名)です。ここも大きな遺跡で、非常に状態が良好でした。妻木晩田遺跡と同じ、いや、それ以上かもしれません。
◇古代の南部町
南部町、すごい所なんです。山陰最大級の前方後円墳・殿山古墳(三崎)がありますし、三角縁神獣鏡も2面も出ています。これは米子市では見つかっていません。弥生時代の住宅跡だけでなく、早田地区ではさらに古い縄文時代の遺跡も見つかっています。三角縁神獣鏡を持つ古墳や殿山古墳ほどの大きな古墳があることから、南部町は弥生時代から古墳時代半ば頃にかけて、鳥取県西部の中心地だったと考えられます。その後、中心は淀江方面に移っています。
◇文化財は私たちのルーツ
文化財というと堅苦しいようなイメージがあるかもしれませんが、決してそんなことはありません。人生に厚みを出す、生きていく手助けになる、そういったことの一つを担うのが文化財だと思います。
いくら記録を残しても、そのものが無くなってしまったらもう振り返ることは出来ません。本物が残されている、触れる機会があるのはとても大きいことだと思います。すべてのものを残すことはできませんが、残せるものは守っていけると良いですね。まずは気軽に、興味関心を持っていただきたいと思います。
■南部町初! 生田家住宅主屋(金山)が国の登録有形文化財に
国の文化審議会(文化財分科会)における審議を経て、11月22日(金)に生田家住宅主屋が国登録有形文化財として答申されました。官報告示後(来年3月頃)に正式に登録される予定で、南部町では初めての国登録有形文化財です。
生田家住宅主屋は明治35年頃築の旧家主屋です。木造二階建の瓦葺で、主座敷は縁を廻らし、床廻りに銘木を使い欄間の組子などが繊細な作りとなっています。土間吹抜部には密に組まれた梁組が見えます。
全体として、繊細で華やかな意匠がふんだんに施されている一方で、重厚感のある太材や長材が随所に用いられています。近代和風建築らしい堂々たるたたずまいを示す重要な建築であり、鳥取県西部地区の地域性も見て取れる作りが評価されました。
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