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文化財が伝える南部の歴史(2)

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鳥取県南部町

■鳥取県指定無形民俗文化財(民俗技術)
魚とり(魚伏籠漁)≪浅井≫
浅井区に伝わる伝統行事「魚とり」は、令和2年に鳥取県無形民俗文化財に指定されました。魚とりは、ウグイと呼ばれる底の無い筒状の籠で池の底を突き、籠に入った魚を捕まえる昔ながらの漁法です。元々は町内各所で行われていましたが、現在残っているのは浅井だけ、県内では鳥取市気高町と2か所が県指定されています。
魚とりは、池の泥を流す、水田の用水管理の一環という目的で、かつては氏神である賀茂神社の秋祭の前日に行われる娯楽を兼ねた行事でした。
今年の魚とりは10月13日に行われ、浅井区の住人約20名が集まりました。大きな鯉が4匹と、雑魚と呼ばれる小さな魚やカニ、エビなどが捕れましたが、例年に比べると少ない漁獲量でした。
内藤聖一区長は「農繁期の終わり、稲刈りが終わってホッとする時期にずっと続けられてきた行事です。集落の皆さんが集まる、一つの楽しみにもなっています。」と話されるように、住民同士の和やかな笑顔や、子どもたちの賑やかな声が響いていました。

◇板持幸夫さん
昔は賀茂さん祭の前にやって、捕れた魚は料理に使いよった。あの頃はそら~ごちそうだったよ。小さな魚は竹でこさえた串に刺して、いろりのへりに刺してあぶって食べとったなぁ。

■南部町指定文化財(史跡)
殿山古墳≪三崎≫/後(うしろ)さこ山古墳≪諸木≫

◇殿山(とのやま)古墳
標高80mの殿山の頂上にある前方後円墳です。全長108m、高さ8mで、鳥取県西部最大の古墳であり、鳥取県では北山古墳(湯梨浜町)に次ぐ大きさを誇ります。
埋葬施設や出土遺物は不明ですが、形や規模から古墳時代中期初頭(4世紀末)の古墳と考えられています。古墳の大きさから、埋葬された人は西伯耆一帯を支配した豪族であったと考えられます。大型で山頂部にあることから、盗掘を逃れ保存状態は良好です。

◇後(うしろ)さこ山古墳
後さこ山古墳は、直径32m、高さ6mの後円部の西に、大きく張り出した前方部を持つ大型の前方後円墳です。古墳時代後期の古墳と考えられています。
三角帽子状の冠を着け、角髪(みずら=髪を束ねて巻いたもの)を垂らした男子頭部の人物埴輪が出土していることで有名です。この埴輪は現在、キナルなんぶで展示されています。
この他にも町内に古墳が多数あるのは、南部町の大きな特色です。

■白山神社≪下中谷・賀祥≫
鳥取県指定保護文化財 鉄造白山本地仏像
南部町指定有形文化財 木造十一面観世音菩薩坐像
白山神社(はくさんじんじゃ)は賀祥区にあり、「白山権現」とも呼ばれる平安時代の神仏習合の姿を今に伝える神社です。ここでは貴重な文化財が多数守り伝えられてきました。ご神体として祀られているのは、町指定有形文化財「木造十一面観世音菩薩坐像(もくぞうじゅういちめんかんぜおんぼさつざぞう)」です。平安時代に作られたとされる秘仏で、一般公開は行われていません。
また、県指定保護文化財である「鉄仏(てつぶつ)」も大切に守られてきました。白山神社の神宮寺で、玄賓僧都(げんぴんそうず)ゆかりの阿弥陀寺(あみだじ)の後身である寶寧寺(ほうねいじ)で祀られていたと伝わるもので、鎌倉時代の元応2(1320)年に制作されたものです。鉄仏は西日本では数が少なく、大変貴重なものです。これまで知られていたものは白山神社に伝わる、十一面観音(じゅういちめんかんのん)・聖観音(しょうかんのん)・光背(こうはい)のみでしたが、近年の調査で倉吉市で一具となる阿弥陀如来(あみだにょらい)が見つかりました。これにより三尊が本地仏(ほんじぶつ)として祀られていたことが分かりました。現在は賀祥区協力のもと、貴重な文化財を広く見ていただけるようキナルなんぶに展示されています。
他にも白山神社近くの経塚(きょうづか)からは、経典等の埋納に使用したと思われる須恵器甕(すえきかめ)、鏡、刀片等の副葬品が見つかっています。これらは平安時代より白山神社周辺が伯耆でも指折りの霊地であったことを示す貴重な資料です。
賀祥区では現在も8軒の氏子の皆さんによって年に3回供養の祭りが行われています。国や県の調査が行われたことや県立博物館に展示されたことが、地元の方にとってもその価値の再認識につながっていました。代々大切に守られてきたものが後世に伝わることが地域の願いです。

■南部町指定有形文化財
宝禅寺・唐筆涅槃図(からひつねはんず)≪北方≫
宝禅寺は室町時代に開創されました。檀家であった藤原長太郎が仏弟子となり妙弁と名を改め、仏像や涅槃図(ねはんず)等を寄進したと言われています。寄進された涅槃図は、南北朝時代(1336〜1392年)頃の作品とされ、町指定有形文化財となっています。
涅槃図は長く県立博物館で保管されてきましたが、絵具の剥離など経年劣化が進んでいる部分もありました。約10年程前に檀家の皆さんが協力し、掛軸の仕立て直し等修復作業が行われました。その道のりは長く、数年かかかる作業でした。護持会会長として携わった瀬尾潤一さんは完成したものを見た時、大変立派に修復でき、感動を覚えたといいます。そして「檀家だけでなく、町にこの貴重な物があるということを知っていただき、たくさんの方に見ていただきたい」と話されました。現在は、祐生出会いの館で大切に保管されています。

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