〜境港商報その1〜
境港商報(さかいこうしょうほう)は里見周三氏が明治39年創刊、境港の経済新聞として月2回程度、昭和14年ころまで1000号以上を発刊。残存部分から当時の記事をご紹介します。
■大正7年
(9月16日446号)
・「境港修築決定内容」
境港湾調査会は県負担金の額を百万円以内となるような修築内容で進めるよう決定した。
・「境駅8月の収入」
乗車人員8988人、客車収入7264円、貨物収入5379円
(9月26日447号)
・「境浦富間海路連絡」
鳥取県内務部長が境町に赴き岡田汽船会社と交渉の結果、90トンの汽船により境〜橋津〜赤碕〜泊〜加露〜浦富間を航海、県下各地の交通の便を図ることとなった。
■大正8年
(6月6日472号)
・「境停車場改名」
我が国において「境停車場」と称するもの奥羽線、中央本線、境線の3箇所にあるため羽後境、村井境、境港に7月1日より改名実施する。
(6月16日473号)
・「境港湾修築期成会成立」
千三百人町民大会が開催された。鳥取島根協力して内務省など関係機関に請願することを決議。
・「境町長木村虎次郎氏選任」
任期満了、議員を招集し、町長の選挙を実施、満場一致をもって木村虎次郎氏が当選した。
(6月26日474号)
・「岡田汽船(株)美保関淀江間の航海開始」
第二岡田丸50トン一日3往復所用一時間(陸路未整備時代)
(10月16日485号)
・「鳥取県下農家の収入」
米と繭で農村はホクホクだそうな。県下全体の額は昨年より千五百万円多い四千五百万円。
・「境町制五十周年」
明治3年に施行、奉告祭余子神社、祝賀会境小学校講堂、提灯行列、5地区青年団によるマラソン競走などが行われた。
(11月16日488号)
・「石炭は境港の輸入の重要なものの一つ」
大正7年の境港駅発送貨物の内、3分の2は石炭であり、院(鉄道)用は33500トン、商用石炭は6500トンであった。海岸での石炭運びは境港にとって重要な労働であった。
※「赤碕」の「碕」は環境依存文字のため、置き換えています。正式表記は本紙をご覧ください。
編集:市史編さん室
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