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境港史話『温故知新』(71)「浜の」の町村目合併

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鳥取県境港市

弓浜半島一帯の町村合併の歴史は、どんなものだったのでしょうか。医師で郷土史研究家の森納先生の「弓浜半島と夜見村」を参考に振り返ってみます。
幕末に著された「伯耆志」によれば、「浜の目」(当時の夜見・大崎以北地域の通称)には18の村がありました。
明治12年に新しい自治制度が実施され、全国的に小規模町村の合併が進みます。弓浜半島でも、各戸長役場(現在の町村)が連合戸長制度(複数の町村を一つの戸長役場が管轄する制度)のもとで地方自治を行いました。(例えば渡地区では、渡村と森岡村が一戸長のもと、まとめられました)
明治22年4月の町村制施行による合併で本市域は、渡村・森岡村が渡村に、佐斐神村・小篠津村・新屋村が中浜村に、高松村・竹内村・福定村・中野村が下浜村(後の余子村)にそれぞれなりました。(他の町村の合併に先立ち、境村は明治3年に上道村鼻を吸収し境町に、東外江村と西外江村は明治22年3月に合併し外江村、翌年11月に外江町になっています。)上道村と共に6町村で新制度の中スタートしました。
戦後、昭和の大合併が進みます。北弓浜の境町を中心とする6町村について、当初の鳥取県知事の勧告は、米子市への大同合併案でした。昭和29年6月には弓浜部中ほどの夜見・富益・和田・崎津・大篠津村などは米子市と合併します。そのような中、境町長足立民一郎氏らの尽力により昭和29年8月10日、境・外江の2町と渡・上道・余子・中浜の4村が合併し、境港町が誕生。昭和31年4月1日には境港市となりました。
昔から、村上龍先生の「北門教育会」が発足されたこと、大正10年から台場での「弓浜北門連合体育大会」開催など、北門(弓浜半島北部)は繋がりが強い地域でした。そのことが境港町まちの合併に繋がったのでしょう。
(参考)「弓浜半島と夜見村」など
編集:市史編さん室

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