境水道大橋が開通した2年後の昭和49年6月、中浦水門が完成しました。長さは414mで10の水門と船舶が航行できる閘門(こうもん)を3つ備えていました。橋げた上部は境港市渡町と八束町(現松江市)江島を結ぶ道路橋で、船の通過時には橋げたを跳ね上げる可動橋でした。当時を知る人からは「船が来ると橋げたが上がり通れなかった」という声もきかれます。
同水門は、昭和43年に始まった中海干拓事業の中核となる施設で同年に着工しました。事業は中海に広大な大規模干拓を行ない、中海・宍道湖の残った水域を淡水化する計画でした。しかし時代は農政の転換期。水質の悪化を懸念する反対運動もあり淡水化事業は中止となりました。水門はその後も生活道路として利用されましたが、平成16年の江島大橋開通によりその役目を終え、撤去されることになりました。現在、渡町側の施設跡地には太陽光パネルが設置されています。
今月、境港市民図書館のサイネージ掲示板では、中浦水門ほか昭和49年のなつかしい画像を放映します。完成前後の中浦水門の姿をご覧ください。
参考:『新修境港市史』、『中浦水門と共に32年』(商船三井海事(株)中浦事務所・全国一般労働組合商船三井海事支部)ほか
〔市史編さん室〕
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