■日本初の外交官 鮫島尚信
1845年、鮫島は薩摩藩の医者の子として、現鹿児島市山之口町に生まれます。
1861年、オランダ医学研究生として長崎に留学し、医学や英語を学びます。その後、薩摩藩開成所で句読師を務め、1865年、20歳で英国留学生に選抜され渡英、ロンドン大学法文学部に入学します。その後、渡米し宗教家ハリスの新生社に参加しますが、1868年、日本の国難を案じたハリスに帰国を命じられアメリカを離れます。
帰国後は明治政府に出仕し、外国官権判事、外務大丞等を経て、イギリス、フランス、プロシャの日本初の外交官(少弁務使)としてパリに着任しました。
1875年、帰国した鮫島は、薩摩スチューデントの一人で当時外務卿を務めていた寺島宗則のもとで外務次官となり、外務行政の改革、指導にあたりますが、3年後の1878年、特命全権公使に任ぜられ、再び渡仏することとなります。
さらに、1880年にはポルトガル、スペイン両国公使を兼摂するなどその公務は多忙を極め、その激務から、パリの公館で執務中に脳出血により35歳の若さでこの世を去ってしまいます。
パリのモンパルナス墓地で行われた葬儀には、薩摩藩英国留学生として共に過ごした森有礼も参列し、敬愛の意を込めた弔辞を読み上げています。
薩摩藩英国留学生記念館スタッフ 下迫田 樹一
薩摩藩英国留学生記念館
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