■初心を貫いた 松村淳蔵
松村淳蔵は、1842年、市来一兵衞の三男として鹿児島城下に生まれました。奥小姓から開成所諸生となり、18人の若者と一緒に1865年イギリスへと渡ります。2年後の夏、長沢鼎をはじめとする5人の留学生らと共に、宗教家トーマス・ハリスを頼ってアメリカへ渡り、ハリスの農場で働きながら勉学に励みますが、しばらくするとハリスの教えに懐疑的になり、畠山義成、吉田清成と共にハリスの農場を離れ、ラトガーズ大学に入学します。1869年12月、畠山と吉田がラトガーズ大学に残る中、松村は、イギリス留学時に与えられていた海軍学を成就するため、アナポリス海軍学校に入学します。
1873年5月、優秀な成績で海軍学校を卒業し、その年の12月に帰国。草創期の日本海軍に中佐として迎えられ、築地の兵学寮で海軍教育に従事することになります。この当時の海軍界は、イギリス式を取り入れていました。米国式海軍教育を受けた松村は、英国出張を経て海軍大佐に昇任、1876年に第三代海軍兵学校長に就任します。松村は、米国のシステムをうまく融合させ、「海軍兵学校規則」や学年混合の「分隊制度」を取り入れました。以後、筑波艦長、芙蓉艦長補、中艦隊司令官となった時を除いて、兵学校長の職にあって、生徒の教育に専念します。中将にまで昇進し、兵学校長を4回務めます。その後1887年、男爵の爵位を授爵、1910年に退役します。軍政に直接関わることが無かった松村ですが、彼から薫陶を受けた多くの将校達により近代日本海軍が創設されていったと言えます。
※令和5年度特別企画展(R6.1月末~)のテーマは「松村淳蔵」です。
薩摩藩英国留学生記念館 スタッフ 峯元雅代
薩摩藩英国留学生記念館
【電話】35-1865
<この記事についてアンケートにご協力ください。>