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薩摩藩英国留学生記念館「れいめいの風」

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鹿児島県いちき串木野市

■日本近代鉱山の礎を築いた朝倉盛明
今回は日本の鉱山の発展に貢献した朝倉盛明をご紹介します。1844年1月、鹿児島の上之園町に生まれます。1865年、朝倉は21歳の時に、羽島から薩摩スチューデントの一員としてイギリスへ旅立ちました。幼い頃より医術や、蘭学を修めた朝倉は、ロンドン大学に留学した後、留学生の一人、中村博愛と共にフランスに渡り、フランス語や鉱山学を学びます。
新たな外交関係を模索していた薩摩藩は、1867年のパリ万博において、幕府に対抗し薩摩琉球国太守政府の名で出品し、幕府は諸藩と対等の立場を主張し、薩摩外交の勝利を印象付けます。これらの事前交渉で尽力したのが薩摩スチューデントたちでした。朝倉はこの万博時に、薩摩藩の説明役や通訳として活躍しました。
帰国後、明治政府の命を受け、フランス人技術者コワニエと共に現在の兵庫県朝来市の生野銀山の鉱山局長として近代日本の発展に尽力します。生野から姫路港の全長49kmを結ぶ日本初の高速産業道路「銀の馬車道」にも着工し、沿線の発展に寄与しました。生野鉱山局事務長、生野支庁長を務めたのち、1924年、京都にて81歳の生涯を終えます。晩年、関西に拠点を置いた朝倉でしたが、鹿児島県の錫山の開発にも携わり、故郷にも功績を残しています。
記念館スタッフ 下島 和

薩摩藩英国留学生記念館
【電話】35-1865

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