■長沢鼎 Vol.6「メキシコ移民計画」
1924年、カリフォルニア州で「排日移民法」が制定され、日本人移民排除の動きが活発になっていました。長沢は排日の兆しがまだ見えない19世紀終わりの時点で、この排日の動きを予見し、日本人の未来について具体的な計画を考え、準備を進めていました。
その計画とは、メキシコに400平方マイルの大農場を建設し、最終的に25万人の日本人移民を送り込むというものでした。1897年に帰国した長沢は鹿児島新聞の取材で、メキシコでサトウキビと綿花を栽培することや、数十キロ離れた川から水を引く灌漑設備の設置、メキシコの海岸から鉄道を敷き海陸輸送を可能にするなど、その壮大な計画の具体的内容を話しています。このとき既に、現地での調査は完了しており、これらの細密な青写真は出来上がっていたといいます。
「自分の農園を売り払ってでも実現させる」と話していたこの移民計画は、実現することはありませんでした。なぜこの計画を断念したのかは明らかになっていませんが、彼が25万人の日本人を移住させようとした土地は現在、綿、サトウキビ、小麦、米、トウモロコシなどを栽培する、メキシコを代表する大農業地帯になっており、大金をかけて行った事前調査の精度と、長沢の先見性を裏付けています。
薩摩藩英国留学生記念館スタッフ 下迫田 樹一
参考文献:渡辺正清『評伝 長沢鼎 カリフォルニア・ワインに生きた薩摩の士』南日本新聞開発センター(2013年)
薩摩藩英国留学生記念館
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