「いにしえの香り」では、市で行っている文化財等調査保存事業などで発見された価値の高い新資料を、隔月で紹介しています。
■「大久保公先世記念碑」
~大久保利通の先祖は川上に住んでいた~
この石碑は川上小学校校庭にあります。郷土誌でも記載がなく、本事業で解読し、紹介するものです。
明治維新の立役者大久保利通の先祖は、江戸時代中期頃、川上の地に百年ほど住んでいました。このことを記念して、大正11年11月に当時の西市来村の有志がこの石碑を建てました。正面「贈右大臣大久保公先世記念碑」の字を書いたのは松方正義です。松方は旧薩摩藩士で、大久保のもとで地租改正などの任にあたりました。また、日本銀行を設立し、大蔵大臣や総理大臣にも2度なりました。大久保をとても尊敬していたそうです。裏面碑文の作者は、西之表出身の朝日新聞記者で、『天声人語』の名付け親でもある西村時彦(ときつね)(号天囚(てんしゅう))です。
碑文には、大久保家の旧宅と墓を今も村人が大切に守っていることに感激し、「公(利通)の父は薩摩藩の藩主に斉彬公を擁立しようとして藩の怒りを買い、喜界島に流された。公が早くから国事に奔走し、明治維新を成し遂げる力になったのは決して偶然ではない。明治になって、公は旧宅を石神孫太郎に与え、先祖の墓守を依頼された。この地は僻小の山間ではあるが、ここに住んでいた武士の子孫に公のような者を出したことは、世に誇り後の模範となるにふさわしい。青少年たちは、公の先祖の遺風を慕い、公の崇高な人格と功徳の偉大さを思い、意気を奮い起こしてほしい」旨が刻んであります。除幕式には利通の三男の利武も参列しました。利武は大阪府知事などを勤め福祉政策や文化振興に尽力しました。
石碑のそばに寄付をした人たちの名前と金額を刻した小さな碑があります。当時の人たちがいかに大久保を尊敬していたかがわかります。
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