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薩摩藩英国留学生記念館開館10周年記念「れいめいの風」

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鹿児島県いちき串木野市

■長沢鼎 Vol.8「排日の嵐(2)」
1900年以降、日本人労働者の低賃金でも勤勉に働く姿に危機感を抱くようになった白人労働者たちは、サンフランシスコを中心に、各地で暴動事件を起こすようになります。1908年、日米関係を拗らせたくないルーズベルト大統領は対応策として、日米紳士協定を結びます。これによって日本人移民が減少し、排日運動も少しは治まるかと思われましたが、排日運動は次の段階へと進んでいきます。この頃の長沢鼎は、1905年の害虫フィロキセラの蔓延によってブドウの木が全滅するという最大の危機から再起をかけて取り組んでいました。
1909年、カリフォルニア州議会において日本人移民の土地所有に制限を加えるための排日土地法案が提出されます。また、その翌年に行われたカリフォルニア州総選挙で、排日を効果的に訴えた民主党が州上下両院において議席数を大幅に伸ばしたことにより、州政府にも変化が生じます。さらに1912年の大統領選で共和党が敗れると、民主党のウィルソン政権が誕生。ルーズベルト政権、それに続くタフト政権の頃は州政府と連邦政府との協調体制が保たれ、排日法案成立を阻止することが可能だったのですが、民主党政権が誕生したことでこの関係が崩れます。1913年、第一次排日土地法成立。1952年にカリフォルニア州最高裁において、この排日土地法が違憲であると判決が出るまで日本人移民の生活を苦しめることになります。

○開館10周年記念特別企画展
「long long journey 旅はまだ、続いている。長沢鼎展」開催中

薩摩藩英国留学生記念館スタッフ 畠中 敬子
参考文献:『カリフォルニア州の排日運動と日米関係』蓑原俊洋著

薩摩藩英国留学生記念館
【電話】35-1865

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