■令和5年度特別企画展「律するとは?-海から日本を見た男-松村淳蔵展」開催
松村淳蔵は1842年、鹿児島城下竜尾町に生まれ、本名は市来勘十郎と言います。1865年、開成所第一等諸生の勘十郎に英国留学の藩命が下ります。密航のため、藩主から与えられた変名は「松村淳蔵」でした。留学にあたり、松村には森有礼らと同じ海軍測量術の習得が命じられました。英国へ渡ると、ロンドン大学に在籍しながら、あらゆる見聞を広め、森有礼とはロシアへも視察に出かけます。1867年、藩からの送金が途絶え先行きが危ぶまれていた松村、森有礼、吉田清成、鮫島尚信、畠山義成、長沢鼎ら6名は、宗教家ハリスを頼って米国に渡ります。その後、「日米が戦った場合、どちらに加担するか」という論題で、「日米に戦争は起こらない。もし起きれば、神のために戦うべき」というハリスの答えに憤慨した松村は、ハリスのもとを去り、ラトガース大学に入学します。その後、留学当初からの目的であった海軍について学ぶため、翌年退学し、1869年、アナポリス海軍兵学校に入学、海軍学を専攻します。1873年、優秀な成績を修め、日本人で初めて卒業すると、同年11月に帰国します。
(次号へ続く…)
留学生の中でただ1人、藩から与えられた任務を最後まで貫き海軍学を学んだ松村は、激動の時代に何を考え、何を見つめていたのでしょうか。彼が現代に残したもの、松村の存在により繋がった人々の物語を、ぜひご覧ください。
記念館では現在、令和5年度特別企画展「律するとは?海から日本を見た男-松村淳蔵展」を開催中です。
記念館スタッフ 下島 和
薩摩藩英国留学生記念館
【電話】35-1865
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