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薩摩藩英国留学生記念館開館10周年記念「れいめいの風」

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鹿児島県いちき串木野市

令和6年度特別企画展(11月2日~)のテーマは長沢鼎です。
今回から長沢鼎に関連する出来事についてお届けします。

■「カリフォルニアのワイン王 長沢鼎-旅立ち前夜編」
長沢鼎は、1852年2月20日、鹿児島市上園町(現在の下荒田)に磯長家の四男(本名:彦輔)として生まれます。父親の周徳が藩の弾薬工場を監督する御徒目付火薬掛であったことから、父に連れられ鹿児島の各地に足を運び見聞を広めます。文武両道で、非常に記憶力がよく、7歳の頃には、四書五経を諳(そら)んじたといいます。
また、11歳の時に薩英戦争を目の当たりにし、その時の気持ちを「ペリーの到来以来、久しい間沈黙をしていた頑固な夢から覚醒され、新しい運命が近い将来に横たわるような気がした」と後年、回想しています。
1864年、薩摩藩は人材育成のため海陸軍書学科の教授機関として開成所を設立します。長沢は、第三等諸生(一年生)として英学組に入ります。薩摩スチューデントたちは主にこの開成所の生徒から選ばれ、長沢もその一人として最年少の13歳で渡英することになります。辞令書には英国ではなく甑島、奄美大島周辺の調査とあったため、長沢もそう信じていたようで、羽島へ到着後、年上の者達の様子から、辞令にある場所に行くのではないと気付いたようです。「外国人は髷など結っていない」と聞かされた長沢は、出発直前に髷を切り落とし、見送りに来ていた者に預け、受け取った母フミは髷を抱いて泣き崩れたといいます。

薩摩藩英国留学生記念館スタッフ 峯元雅代
参照「渡辺正清著 評伝 長沢鼎 カリフォルニア・ワインに生きた薩摩の士」

薩摩藩英国留学生記念館
【電話】35-1865

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