■令和5年度特別企画展「律するとは?-海から日本を見た男-松村淳蔵展」開催中
今回は6月24日まで開催の特別企画展「律するとは?-海から日本を見た男-松村淳蔵展」に併せて、日本海軍の礎を築いた松村淳蔵についてご紹介します。
松村淳蔵は1842年鹿児島城下竜尾町に生まれ、本名を市来勘十郎といいます。開成所第一等諸生であった22歳の時に英国留学生として選抜されます。1867年、英国での滞在費が滞ってくると、松村を含めた6人のメンバーは、宗教家ハリスを頼って米国へ向かいます。
1868年5月、意見の相違からハリスのもとを離れ、同年9月にはニュージャージー州のラトガース大学に入学しますが、留学時に与えられた海軍術を学ぶという藩命のため翌年退校し、その後アナポリス海軍兵学校に入学しました。1873年5月、アナポリスからの日本人初の卒業生として、同年11月に帰国します。
当時最先端の海軍術を身に付けていた松村は、海軍中佐として築地の海軍兵学寮で海軍教育に従事します。その後、英国出張を経て海軍大佐に昇任、1876年第三代海軍兵学校長に就任しました。以後、筑波艦艦長、扶桑艦艦長、中艦隊司令官となった時を除いて、兵学校長として生徒の教育に心血を注ぎ、通算4度の校長を務めました。
本企画展では、約30年前に松村淳蔵をテーマに卒業論文を制作した女性をナビゲーターに、東京や広島など松村ゆかりの地を訪ね、日本を海からまもる人々や関係者の声を集めたドキュメンタリー映像が目玉となっています。留学生の中でただ一人、藩から与えられた任務を最後まで貫いた松村淳蔵の功績や物語をぜひご覧ください
薩摩藩英国留学生記念館スタッフ 下迫田 樹一
薩摩藩英国留学生記念館
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