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薩摩藩英国留学生記念館開館10周年記念「れいめいの風」

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鹿児島県いちき串木野市

■長沢鼎 Vol.3「アメリカでの生活」
1867年、長沢鼎を含む6人の留学生は宗教家トマス・レイク・ハリスの元へ向かうため、アメリカに渡ります。彼らは、ハリスのコロニーで昼間は開拓や農作業など無償の労働を行い、夜勉学に励みました。渡米して間もなく、日本とアメリカで戦争が始まった場合、我々はどのように対処すべきかという議論が起こります。そこでハリスが出した答えに共感できなかった、畠山、吉田、松村はハリスのもとを去ります。その後、日本で王政復古があった知らせが届きハリスの勧めで、鮫島と森も帰国してしまいます。当時16歳だった長沢も2人と共に帰国したい気持ちがありましたが、ハリスの許しを得られず、1人残ることになります。
長沢が17歳の時から書き始めた英文の雑記帳が残っています。そこには、キリスト教についての考えや、他国の歴史、産業など様々なことが記述されています。また、「prison」(監獄)という単語を何度も書きなぐったような箇所が見られます。ハリスの元から離れたくても離れられない状況を監獄に例えているように思えます。
1871年、長沢19歳の時、米国在中の少弁務使として赴任した森有礼とワシントンで再会します。森は、来年一緒に帰国しようと長沢に話を持ちかけますが、長沢は「来年のことはわからない。今すぐ帰れないのであれば帰国しない」と断ります。
ブドウ栽培について専門家の指導を受けていた長沢は、本格的なワインづくりをするにはヨーロッパ種のブドウを栽培できるカリフォルニアの気候が適していると確信していました。1875年、ハリスは長沢を引き連れてカリフォルニアへの移住を決意します。こうして長沢は、新天地での新たな生活を始めることとなるのです。

薩摩藩英国留学生記念館スタッフ 松原 佳南
参考文献:渡辺正清『評伝 長沢鼎 カリフォルニア・ワインに生きた薩摩の士』南日本新聞開発センター(2013)

薩摩藩英国留学生記念館
【電話】35-1865

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