■13 太閤陣跡
太閤(たいこう)陣跡は、旧国鉄鶴田駅の南の丘にある町指定文化財で、後に太閤と呼ばれた豊臣秀吉が、島津攻めの際に陣地を作り、滞在した場所とされています。天下統一を目指す秀吉は、九州で勢力を伸ばしていた島津氏を攻めるために、1587年3月に大阪から薩摩国に向けて出発。5月には、薩摩川内市の泰平寺で当主の島津義久から降伏の申し出を受けました。義久との会見により島津氏の降伏が決まりましたが、宮之城の島津歳久や大口の新納(にいろ)忠元などが不穏な動きを見せていたことから、秀吉は川内川を北上して宮之城を通過し、鶴田、大口へと抜ける道を通りました。義久の弟の義弘は、現在の太閤陣跡で秀吉と会い、大隅国の支配を保証されました。
『太閤陣跡のマップ』は、本紙またはPDF版掲載の二次元コードよりご覧ください。
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