■いずみのお宝発見しげさんぽ
▽『出水ツルの越冬地』をもたらした島津斉彬
今回は「荒崎干拓」を散歩して来ました。
出水平野は海に面する北側を除く三方を山に囲まれ、山脈より海岸へ流れ出る3本の川が運んだ堆積物によって形成されました。この地形を利用して大規模な干拓事業が始まったのは、なんと江戸時代中期!その頃から次第にツルが飛来していたそう。
江戸時代末期、薩摩藩主に就任した島津斉彬公が、江戸から薩摩へ入る際、江内村、荘村の海岸が遠浅なことに気づき、新田を開くように指示したことがきっかけで整備されました。斉彬公の没後はその使命を継いだ島津忠義公が「荒崎地区」の干拓事業を完成させました。まさにツルをはじめ野鳥など生き物たちにとっても楽天地となったわけです。さすがの斉彬公の先見の明もここまでは予知しなかったのでは?
この工事の際に干拓地を海水から遮断するために建設された「樋門」は現在でも「島津樋門」として江内川に架かる「島津橋」を支え続けて現在に至ります。
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