■伝統つないだ不思議な縁
~加世田鍛冶・橋口範人(のりと)さん
◆伝統工芸「加世田鍛冶」
南さつまの伝統工芸として知られる「加世田鍛冶」。その製品である「加世田鎌・加世田包丁」は、鹿児島県の伝統的工芸品に指定されています。かつては、県本土各地への製品供給はもとより、南西諸島向けに島鎌(シマガマ)などの製品を送り出すなど、盛んだった加世田鍛冶でしたが、現在では従事者も激減しました。
◆定年退職後に加世田鍛冶の道へ
橋口範人さん(昭和二十三年生まれ)は、存続危機にある加世田鍛冶の伝統技術を、加世田の「志耕庵(しこうあん)」で守り伝えている鍛冶職人です。
範人さんは、かつて鍛冶業とは全く異なる職業をしていました。定年退職後、二〇〇九年夏のある日、そば屋と勘違いをして何気なく訪れた志耕庵で鍛冶に興味を持ち、そのまま鍛冶の道に入りました。
◆実は祖父も鍛冶を営んでいた
誰に強いられるでもなく、自然と加世田鍛冶の魅力に惹かれ、鍛冶の道に入った範人さん。鍛冶を始めてから少し経過した後、実家に残されていた百年以上昔の古い書類を見て、驚くべき事実を認識します。
何と、範人さんの祖父(宗五郎さん)が、明治時代に鍛冶を営んでいたのです。
範人さんによると、自身が鍛冶を始めた時点では、範人さんは、実家がかつて鍛冶を営んでいたことを認識していませんでした。
鍛冶とは無縁の職業を歩み、鍛冶を始めた時点では、かつて自分の祖父が鍛冶を営んでいたことも認識していなかったという範人さん。そんな範人さんが、自然と鍛冶に興味を持ち、鍛冶職人になったことには、計り知れない運命が感じられます。
祖父との思いがけない縁に、範人さんは「本当に驚いた」と話します。
存続危機の加世田鍛冶の伝統をつないだ祖父との不思議な縁。炭火薫る志耕庵の作業場で、黙々と鎚を振るう範人さんの腕には、先人たちの時代から脈々と続く加世田鍛冶の魂が受け継がれています。
○加世田釘(角釘) 加世田郷土資料館収蔵
素朴・武骨で質実剛健な雰囲気を持つ加世田釘。
重厚な鉄色(くろがねいろ)が美しい。
○鍛冶工場新築免許(部分)
橋口範人さんの実家に残されていた鍛冶工場新築の免許。明治36(1903)年に、加世田警察署が橋口宗五郎(範人さんの祖父)に与えたもの。
○引用・主要参考文献等
・北村茂之2013「かごしまふるさと彩録56南さつま市加世田」『南日本新聞』2013年2月4日朝刊 南日本新聞社
・南日本新聞社編2015「まちの顔460年の伝統継承」『南日本新聞』2015年5月5日朝刊 南日本新聞社
・土持鋤夫1927『加世田遊覽案内』 浪速堂書店
・土持鋤夫1939『神代より藩政時代に至る 加世田の歴史』 南薩郷土出版協会
・島袋盛範1932『藩政時代に於ける製鉄鉱業』(鹿児島県立図書館蔵本)
・東精之助1957「加世田鍛冶に就いて」『鹿児島県地理学会紀要』7 鹿児島県地理学会
・前原政二・有木伝左衛門1964「第四編 産業経済誌/第十二章 工業」『加世田市誌』上巻(加世田郷土誌委員会編) 加世田市役所
・満留重雄1964「第十一編 人情風俗誌/第四章 加世田郷の名物/第四節 加世田鎌」『加世田市誌』下巻(加世田郷土誌委員会編) 加世田市役所
・町健次郎1993「製鉄・鍛冶屋」『加世田市の民具』(下野敏見編) 加世田市教育委員会
・小松美貴1993「衣服・農具・他」『加世田市の民具』(下野敏見編) 加世田市教育委員会
・松山賢太郎1986「第十四編 文化財・人物/第二章 一般文化財」『加世田市史』下巻(加世田市史編さん委員会編) 加世田市
・橋口亘2009「付論 加世田鍛冶と南西諸島」『海が繋いだ薩摩―琉球』(輝津館企画展図録) 南さつま市坊津歴史資料センター輝津館《史料》
・『三國名勝圖會』巻之二十七
・『再撰帳 一の一』(加世田郷土資料館蔵本)
(文章:生涯学習課 橋口亘)
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