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たるみず歴史・文化散歩 第40回

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鹿児島県 垂水市

■島津家と飯牟礼(いいむれ)神社
鎮座地:垂水市二川786
御祭神:
・倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
・稲荷神(いなりかみ)
御神体:御神木像13体・狛犬2体
建立:1370年 島津氏久公

○飯牟礼神社
飯牟礼神社は、深港・二川・上ノ原、三地区の「産土大神」(うぶすなのおおかみ)で、御神体は鋒(ほこさき)とされています。元禄7年(1694年)10月7日、火災にあい、御神体も含めて神社が全焼したと記録されています。
その後、佐藤大和守信秋と言う人が、御神体(神像)を安置しております。
旧暦二月の初申の日に、神楽(かぐら)や神舞(かんめ)と言う剣舞等が、奉納され、氏子(うじこ)は蔦(つた)の葉・米・種子もみをお供えして、もみを、神米として蒔いたとされています。

○島津家とのかかわり
鹿屋池田古文書という文献の中に、南・北朝廷の争いの際、「足利尊氏」側の北朝に属した「島津氏久公(島津家6代領主)」が、九州の南朝勢力制圧のため、南朝側の禰寝(ねじめ)氏や、相良(さがら)氏等と戦いました。苦戦の末後退し、まわりが敵に囲まれるなか、山つたいに、今の百引の奥山を通り、市成の飯牟礼坂を越え、「飯牟礼坂の祠(ほこら)」に、たどり着き、そこの祠で灘を逃れられたとされています。
その山の祠の土を紙に包み、二川の浦(現在の深港)にくだった後、浦のお宮に留まり、持ってきた包みを供え、武運長久を祈願しました。その場所に、応安3年(北朝年号1370年)、飯牟礼神社が建立されました。
内殿内には、御神鏡と、御神像(1体は、黒く焦げている)、高麗犬(こまいぬ)2体があります。
戦国時代、牛根に逃れてきた備前(今の岡山県)大名宇喜多秀家がこの神社に立ち寄り、武運長久を祈って7匹の狛犬を供えたとも伝えられています。

○飯牟礼神社の補足
御利益:商売繁盛・家内安全・交通安全・火災、災難除け・子孫繁栄・学業成就・芸能上達など
倉稲魂神:穀物の神、特に稲の精霊
稲荷神:島津家の御祭神であり、県内はもちろん、全国に在る神社の3分の1は、稲荷神社と言われるほどあります。

▽参考資料
『垂水市史料集8(牛根篇)』

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