■ため池
○ため池の役割
協和地区に6か所、垂水地区に2か所、水之上地区に4か所、新城地区に4か所、計16か所のため池があります。
農家戸数が減少し、米を作る農家の数も大変少なくなっており、田んぼが荒れて草や木が生い茂っているのを目にすることが多くなりました。ため池は田植えや日照りの時など、水の必要な時に貯めていた水を流して使ったり、反対に大雨の時は大量の水が流れないようにせき止めて下流に氾濫被害が及ばないようにダムの役目もします。また、藩制時代には、ため池では鯉やフナを飼育したり、ジュンサイ等を栽培していたようです。
ため池には、大きく2つの型があります。1つは瀬戸内地方に代表される皿池型です。これは雨の少ない地方では雨水を貯めて利用しますが、その形が皿に似ていることからつけられた名前です。もう1つは谷池です。これは谷川や湧水などをせき止めて水を貯めるため池です。鹿児島はシラスに覆われた土地柄で山がちなため、垂水をはじめ、ほとんどのため池が谷池型で造成されています。水を普段から貯めておいて、必要な時に水を抜いて利用します。昔はいくつか穴をあけた木管や石管、コンクリート管をため池に沈めて、必要な時に穴に詰めた栓を抜いて下流に水を放流しましたが、その形から「尺八」と呼ばれています。現在の斜樋(しゃひ)の設備がそれです。
○ため池と昔の人びと
ため池の造成について古い竣工記念碑には、昔の人びとの大変な苦労と工夫がなされたことが刻まれています。例えば宮之城島津家の所領の湯田の旧塘池(ふるともいけ)は急激な大雨で崩壊したため、ため池の土手の修築工事を行っています。水をせきとめる土手は、繰り返し水を通しにくい土を敷いてはつき固める版築(はんちく)法で、多くの領民の力と費用で何日もかけて造成しました。そして作業時には地つき唄を歌ったり、作業する人々の間に少女を入れこませたりして皆が仕事に飽きが来たり、疲れないように工夫を凝らしたといいます。
鹿児島ではあちこちに地つき唄が残っています。地つきとは大きな杵(垂水では「どんじ」と言います)で多くの人数をかけて地面を突き固めるもので「千本搗(づ)き」とも呼ばれます。
垂水では半世紀以上前までは、ため池はその水を利用する地域の人びとが管理しており、定期的に周囲の草を刈ったり、水を抜いて池の泥や繁茂した水草等をかきだして、池の底を干す作業が地域総出で行われていたものです。みんなが泥まみれになって鯉やウナギなどを捕らえたりして、一大イベントの様相を呈していました。
▽参考資料
湯田旧塘池之碑(さつま町湯田)
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