■屋久島ぽんかん原木の来歴
屋久島ぽんかん原木は、後に下屋久村長となった黒葛原兼成(つづらばらかねなり)さんが1924年(大正13年)に屋久島の農業振興のために、台湾から苗木を取り寄せ植栽したのが始まりです。それから10年の歳月を経て、日本で初めてぽんかん栽培に成功し、「屋久島ぽんかん」の名を残すに至りました。また、当時の元老に贈呈し、「甘酸相和して台湾産より優良である」との賞賛を受けました。現在のぽんかんの一大産地としての屋久島の名声は、兼成さんの努力の賜物です。
屋久島ぽんかん導入100周年記念式典が、10月14日に平内集落の黒葛原翁記念碑前及び尾之間中央公民館で開催されました。
この記念式典は、1924年(大正13年)に黒葛原兼成(つづらばらかねなり)さんが、屋久島の農業振興のために、台湾から苗木を取り寄せてから、今年で100年の節目を迎えることから開催されました。式典には県議会議員、経済連、農協、市場関係者などの来賓や、地元の農家などが多数参加し、兼成さんの功績を称えました。また、ぽんかんの原木を現在も大切に管理している兼成さんの孫にあたる黒葛原平さんの奥様のかよ子さんと、曾孫にあたる黒葛原洋子さんに感謝状が贈呈されました。
式典は、オープニングアトラクションの岳南中吹奏楽部の演奏で始まり、鹿児島大学農学部副学部長の山本雅史教授による記念講演や、関係者らよるパネルディスカッションが行われました。また、地元の平内子ども会の歌とダンス、麦生婦人会の「みかん音頭」、そして町内で活動する劇団による「黒葛原兼成翁物語」の演劇が行われ、記念式典を盛り上げました。
■記念講演/ぽんかんの品種特性とこれからの中晩柑(ちゅうばんかん)の品種の展望についてー
鹿児島大学で果樹園芸学を専門としている山本雅史教授(鹿児島大学農学部副学部長)を招き、カンキツの起源やぽんかん・たんかんの品種特性、機能性成分、近年の品種紹介など、カンキツをめぐる情勢についてのお話をしていただきました。
参加者からは、「屋久島にぽんかんが導入されてから100年といった節目の年に貴重な話を聞くことが出来ました」、「今後の屋久島における果樹栽培を考える上でとても良い機会となりました」等の感想が挙げられていました。
■パネルディスカッション/屋久島ぽんかんの現状と果樹振興についてー
パネルディスカッションは、「屋久島ぽんかんの現状と果樹振興」と題して、ぽんかんの現状を再認識するとともに、今後の果樹振興方策について考えていくことなどを目的として行われました。
コーディネーターは鹿児島大学の山本教授が務め、パネリストとして、鹿児島県農業大学校の樋口真一部長、JA種子屋久屋久島支所の鎌田忠明経済課長、JA種子屋久の鎌田正光果樹部会長、鹿児島中央青果株式会社果実部の鈴木清隆部長、屋久島農業青年クラブの日髙龍真会長、役場産業振興課の松田賢一課長がそれぞれの立場からぽんかんの現状や課題についてコメントし、今後の屋久島における果樹を中心とした農業振興方策についての検討を重ねるなど、大変意義深い内容となりました。
■劇団THE屋久座による記念演劇公演「黒葛原兼成翁物語~艱難汝(かんなんなんじ)を玉(たま)にする~」
町内で活動する「劇団THE屋久座」が黒葛原兼成さんの生涯をテーマにした演劇「黒葛原兼成翁物語~艱難汝を玉にする~」を公演しました。屋久座は、代表の松本淳子さんを中心に7年前に儒学者の泊如竹翁を題材にした「如竹散人乱拍子(じょちくさんじんみだれびょうし)」で旗揚げをした劇団です。
今回の演劇は、兼成さんの屋久島でのぽんかん導入の苦労など生涯を題材として、歌あり、ダンスありの楽しい演劇を上演して頂きました。
■黒葛原兼成(つづらばらかねなり)さんの生涯
黒葛原兼成さんは、明治元年に鹿児島市に生まれました。明治23年に旧下屋久村栗生小学校校長、25年には岳南高等小学校の校長を務められたほか、県内各地の小学校校長を歴任した後、台湾に渡り、国語伝習所教諭として勤めました。
その後、明治38年に屋久島の平内に移り住み、昭和11年から昭和15年までの間、下屋久村長として、農業振興だけでなく林業、漁業と幅広く、屋久島の産業振興につながる取り組みを行いました。その後、兼成さんは、昭和26年に83歳で亡くなられましたが、これまでの多大なる業績により、平成6年3月に旧屋久町の名誉町民の称号が贈られました。
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