■徳之島の大島紬
「紬なら龍郷の大柄、徳之島の中柄と並んで喜界の小柄は有名である」。これは昭和2年(1927年)の月刊誌「奄美」12月号にある記事見出しです。ここに記された「徳之島の中柄」は「徳中柄(とくちゅうがら)」と呼ばれた徳之島で創り出された大島紬の柄です。ここでは、昭和2年の時点で徳中柄が大島紬の代表的な柄と認識されていたことを指摘しておきたいと思います。
大正15年(1926年)、上原紬工場が母間の地で紬の生産を開始しています(写真1)。徳之島町誌編さんの過程で、同じく母間で創業された仙太織物(株)様のご厚意により昭和初期にデザインされた図案をお借りすることができました。仙太勝氏(現仙太織物(株)会長)からのご教示によれば、龍郷柄と違って徳中柄は画一的な柄ではなく、何百種類とある柄の一つ一つが異なり、多柄という特徴をもっています(写真2)。当時、上原紬工場図案部に勤められていた仙太森直氏は万年筆1本で図案を描いていたということです。
昭和初期、上原紬工場で作られていた大島紬は三越百貨店に卸されていました。東京駐在の職員がいらっしゃったということから、三越百貨店から東京の需要をキャッチし、徳之島に伝えていたと考えられます。昭和初期後半から、柄の作風が変化しているのはその反映のようです(写真3)。勝氏の言葉を借りますと、「大正ロマンの名残」です。
*貴重な徳中柄の図案や徳中柄を再現した反物(写真4)をご提供いただきました、仙太織物(株)の仙太勝会長にこの場を借りて御礼申し上げます。
(町誌編さん室 竹原祐樹)
※各写真は本紙をご覧ください。
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