■謎だらけの線刻画
母間地区の反川(たんかわ)集落の山すそに、町指定文化財「母間の線刻画」があります。徳之島では他に天城町瀬滝(せたき)の戸森(ともり)、三京(みきょう)、伊仙町の犬田布岳(いぬたぶだけ)山頂横、馬根(ばね)の計5か所があり、伊仙町の2か所以外は、標高110~120メートルに位置するという共通点があります。線刻画は、南西諸島全域を見渡しても沖縄島で小さな石板に記号が刻まれたものが発見されているだけです。九州全体では、そのほとんどが熊本県や佐賀県、長崎県の壱岐(いき)の古墳内の石棺(せっかん)に描かれており、徳之島のような山間(やまあい)の岩石に線刻する事例はたいへん珍しいようです。
母間の線刻画は、シギョナシ山と大ハブ伝説が残るムー山から流れ出た川の、谷に挟まれた場所にあります。石原と呼ばれる地区に4か所点在していて、2か所の大岩には弓矢や船が描かれ、もう1か所は祭壇岩、さらにその数十メートル下に星型のマークの入った岩石があります。今回は、調査資料の多い祭壇岩(写真1)を紹介します。
線刻画群一帯は、かつて「ノロ」と呼ばれる女性の司祭者の所有地でした。中でも祭壇岩とその下の線刻石は重要だったらしく、近年までノロの子孫によって祀られていました。ノロは琉球時代から薩摩藩時代までの間、村ごとに1名が任命され、五穀豊穣(ごこくほうじょう)などの村の重要な儀式を担いました。祭壇岩での儀式は特別なもので、全島のノロが集まって豊年祈願を行っていたということです。
祭壇岩に線刻画はないようですが、周囲は石垣で囲まれ、階段状に4段ほど削られた祭壇は母間ウデガナシに向き合っています。岩全体も人工的に割って形を整えたように見え、岩の頭頂部は、その先にある母間ウデガナシの山並みをなぞるように成形されています。横から見る岩は、まるで大ハブの頭部のようです。この祭壇岩がいつ加工され祭祀に使われるようになったのかは不明ですが、島に鉄器が普及するグスク時代(12~16世紀)ごろの可能性が高いのではないでしょうか。
ここから約50メートル東にある第4の線刻画には、岩石に星のマークが掘られ、その横に石柱が立っています(写真2)。非常に古い遺構ではないかとの指摘もあり、今後研究が進むことを期待しているところです。
徳之島には知られざる遺構がほかにもあり、ロマンあふれる島です。1つ知れば1つ謎が増え、興味の尽きない、とても面白い島なのです。
(町誌編さん室 米田博久)
※各写真は本紙をご覧ください。
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