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町誌編さん室の島のむんがたり

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鹿児島県徳之島町

■古文書からひも解く島の歴史~ノロ文書~
郷土資料館では、今年の広報紙4月号で紹介した「ノロの任命状」を含めた手々ノロ資料として「深見家ノロ文書」を保管しています。それらの文書から、15~16世紀の琉球王朝統治下おいて村落祭祀を司っていた「ノロ」の権威が、1609年以降に薩摩藩の配下に置かれたことで、どのように変化したかを知ることができます。

○薩摩藩役人の着任祝いを命じられた際に記した「口上覚(こうじょうおぼえ)」
口上覚は、「徳之島に派遣された新奉行の着任祝いに亀津へ来るように命じられましたが、やむを得ない事情によりお伺いできないので、お許しください」とノロが申し出た書状です。
年代は不明ですが、薩摩藩から派遣された役人が寛永16年(1639年)に「代官」と称されるまでは「奉行」だったことから、文書作成はそれ以前だと推測されます。宛名の「大あむしゃら」は、島内のノロの任命権者で、「三平(みひら)」は在所の名称です。非礼を詫びるとともに、後日に至って無礼なことになりましたら、どのようなご沙汰でも仰せつけくださいと述べています。随分へりくだった内容であることから、薩摩藩役人の影響力が増していたことを伺い知ることができます。

○ノロ屋敷の譲渡証文「永代書物(えいたいしょもつ)」
この「永代書物」は、「ノロ」の代替わりの時に屋敷も譲渡することを保証した文書です。手々村の掟(おきて)(按司(あじ))と村役人、長老らが連名して証人となっています。「老人」から「年寄」の4名までは印章として「指印」を押していますが、村の長である掟のみが「花押」を書いて、権威の高さを示しているように見えます。
琉球王国時代のノロは土地を与えられていたことが分かっていますが、屋敷も与えられていたことを示す文章です。証文は宝暦14年(1764年)なので、薩摩藩支配下にありながらも琉球王国時代のノロの祭祀が連綿と継承され、その地位が村内で保証されていたことが伝わります。
(郷土資料館長 遠藤 智)

問合せ:郷土資料館
【電話】0997-82-2908

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