火山地形と温泉、日本一を誇るオクラ、そら豆や観葉植物、更(さら)には肉用牛など、指宿が素晴らしい力を持った町である事は10月号でご紹介しました。
今回は指宿のもうひとつの〝わっぜぇー〟顔をご紹介します。それは歴史ある山川の港と「指宿鰹節(かつおぶし)」についてです。
■山川の港は歴史も水揚げも日本指折(ゆびお)り
日本本土の最南端にある山川港は、人々が船を使い始めてから、外国船にとっては、まさに日本の玄関口でした。1547年、戦国時代に山川を訪れ滞在していたポルトガルの商人、ジョルジェ・アルバレスは、宣教師(せんきょうし)ザビエルの頼みで、山川の人々の暮らしぶりを本にまとめ報告しました。なんと、ヨーロッパに初めて紹介された日本人は、〝山川の人々〟だったのです。
江戸時代、国際貿易(ぼうえき)を制限する鎖国(さこく)政策がとられていた時も、山川港は、かつて「琉球(りゅうきゅう)王国」と呼ばれていた沖縄との貿易(ぼうえき)を徳川幕府から許された唯一の港として、人々の交流や交易が盛んに行われてきました。その面影(おもかげ)を数多く残した地域である事は、NHKの「ブラタモリ」の中でも取りあげられていました。そして、その山川港は現在も指宿市の水産業の中心的役割を果たし続けているのです。
水産庁の調べによると、全国の津々浦々に、大小合わせて2774の漁港があるそうです。その中で水産業の実績をわかり易(やす)く示しているもののひとつは水揚(みずあ)げ高でしょう。
令和4年度の山川漁港の水揚(みずあ)げ高は約136億円に達しました。この実績は全国の有名な港の中でも堂々ベスト10にあたる成績と推定されます(来年に正式発表)。毎年の魚の価格の変動で、その額は変わりますが、令和4年は過去最高の取り扱い高を記録しているのです。山川港の漁港としての力は想像をはるかに超えて“わっぜぇー”港なのです。
水揚(みずあ)げの中で最大の量を占める魚は、もちろん、海外まき網船が運んでくるカツオ類になります。これこそが市民が誇りに思っている「指宿鰹節(かつおぶし)」の原料です。
山川で、鰹節作りが始まったのは、今から115年前のことです。
明治42年、愛媛県のある業者が、山元新之助という人物の納屋(なや)を借りて、山川で初めて鰹節作りを始めました。そして翌年には、新之助自身も作り方を学んで、地元で初めて鰹節作りを始めたのです。その後も、多くの事業者が後(あと)に続き、第1回の山川みなと祭りが開かれた昭和9年には、山川の鰹節生産量は、静岡県などを抜いて全国第1位となり、全国有数の産地へと成長していきました。
鰹節の生産は日本三大産地と呼ばれる枕崎・焼津、そして指宿山川が中心です。全国生産量の半分を枕崎が生産、残り半分を焼津と山川が同じぐらい生産しています。一方で全体の1%強しか生産されない最高級の鰹節である本枯(ほんが)れ本節(ほんぶし)は日本の70%以上を山川の町で生産しています。
世界の無形文化遺産に登録されている「和食」を支えているのは、出汁(だし)の文化です。その出汁(だし)の文化を支える代表的な柱が、鰹節と昆布(こんぶ)だと言われています。つまり、今、世界中で注目を集める和食を支えているのは、私達のこの山川地域だとも言えます。令和2年、地域団体商標として「指宿鰹節(かつおぶし)」が正式に登録されました。まさに指宿の鰹節が国の認めるブランドとして、“わっぜぇー”時代を迎えています。
■ますます成長が期待できる山川港
コロナ禍で人の動きが止まり、人手不足で生産力の低下に悩んだ時期もありましたが、このところ外国からの技能実習生も充実してきて、これからが本当の力をもっと発揮できる地域・産業だと思います。
今年の10月には8年ぶりに指宿で全国かつお節の品評会・即売会が開催され、多くの関係者が本市に集まりました。又、来年は、山川漁協も主催者のひとつに名を連ねる全国カツオサミットの開催も予定されています。来春4月には山川港へのクルーズ船の寄港も決まりました。
訪(おとず)れる観光客に向けて指宿港や川尻漁港で水揚(みずあ)げされる魚介類や指宿で日本一の生産を誇る園芸作物を食材とした、新しいメニュー作りやグルメ祭りの計画など市内関係者が一丸となって地元の食材をどんどん売り出す挑戦も始めようとしています。
市民の皆さんからも、市外の様々な方々へ、指宿はこんなに“わっぜぇー”所である事を胸を張ってどんどん伝えていただける様にお願いします。
今後、指宿の価値がもっともっと、あがってゆく事を心から願っています。
(指宿市長 打越 あかし)
<この記事についてアンケートにご協力ください。>