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ひおき歴史街道 No.30

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鹿児島県日置市

■県指定天然記念物『日置市吹上町の大汝牟遅神社の「千本楠(せんぼんぐす)」社叢(しゃそう)』
日置市教育委員会社会教育課文化係

「千本楠」は、伝説によると大汝牟遅(おおなむち)神社(日置市吹上町中原)の祭神大汝牟遅命(だいおおなむちのみこと)(別説では八幡神)が楠の杖を地面に刺したところ、これが根づいて親木になったとされています。親木は幹の周りが18m余りもある大木でしたが、風も無い夜に轟音とともに倒れたと伝えられています。以前は、朽ちた根元の一部が残っていて、その大きさを偲ばせていましたが、現在は完全に朽ち果て、痕跡を見ることはできません。
付近には、現在、森神社が建っています。かつては森大明神とも呼ばれ、「大名持神」を祭神としていました。明治の末頃までは、毎春彼岸に地域の安全を祈願する「武者講(ぶしゃこう)」という行事が行われ、14歳以下の少年が袴姿で紙製の的を弓矢で射た後、供物の煎り豆が配布されていました。
「千本楠」周辺は東宮内遺跡でもあり、古墳時代の成川式土器、平安時代のものと思しき須恵器(すえき)、中世の輸入陶磁器などの破片が確認されています。また、鎌倉時代の史料には、この周辺で開かれていたと考えられている「宮内名市庭(みょういちば)」という市場の名があらわれ、当地が多くの人々でにぎわったことが想像できます。
江戸時代には、薩摩産紙を大坂(大阪)へ出荷する計画に関わっていた大阪商人の高木善助が、文政12年(1829)に当地を訪れ、「希代の楠」で「実に類いなき事なり」と評し、当時の千本楠の姿を絵に描き残しています。
古くから珍しいとされた「千本楠」も近年ではパワースポットや各種ロケ地としても知られるようになりました。現在に至るまで当地の歴史を見守ってきた「千本楠」は、『日置市吹上町の大汝牟遅神社の「千本楠」社叢(しゃそう)』として、令和5年5月2日付けで鹿児島県指定文化財の記念物(天然記念物)に指定されました。

『三国名勝図会』「大汝八幡宮」挿絵
天保14年(1843)に完成した薩摩藩の地誌「三国名勝図会」中の「大汝八幡宮」(現.大汝牟遅神社)の挿絵。右下が「千本楠」。
現在、大汝牟遅神社境内にも、楠の巨木が鎮座しており、こちらも樹齢800年以上とされている。
※画像は本紙をご覧ください。

〔参考図書・史料〕
『鹿児島県史料』旧記雑録前編1・地誌備考2(鹿児島県)、東京大学史料編纂所編『大日本古文書』家わけ16島津家文書之一(東京大学出版会):文保元年(1317)6月17日付け「薩摩伊作庄日置北郷領家雑掌地頭代和与状」、『三国名勝図会』、高木善助著・東條広光氏編『大坂商人旅日記薩陽紀行―文政・天期の南九州への旅』(鹿児島学術文化出版)、『吹上郷土史』上・中・下巻・現代編・『吹上町の文化財と神話・伝説』・『吹上郷土誌』通史編1・3、資料編(旧吹上町教育委員会)

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