■深固院と「蛇(じゃ)の窟(あな)」伝承地
日置市教育委員会社会教育課文化係
南北朝時代から室町時代にかけて、石屋真梁(1345〜1423)という曹洞宗の名僧がおりました。石屋は、至徳(元中)3年(1386)、深固岳(日置市日吉町吉利字霞嶺・霞ヶ嶺)北麓に草庵を建て、石の上で座禅を組んで修行を積んでいましたが、その当時について、次の言い伝えが残っています。
「蛇の窟」伝承地(鹿児島市入佐町)
扇尾地区公民館の南東の永吉川南岸にある幅10~15m、奥行15mの洞穴で、硬質のシラス丘陵が侵食により貫通した自然洞窟とみられる。伝説では本文の大蛇があけた穴とされる。かつては、龍の彫刻のある「山神」碑や地蔵菩薩が彫られた石碑、「馬頭観世音菩薩」刻銘の石碑があったが、現在は別地に安置されている。里道となっているが、落盤の恐れもあるので、通行時は要注意。
石屋が建てた庵は、「深固院」といい、長い年月を経て、廃れていました。江戸時代の貞享3年(1686)、吉利領主の禰寝清雄が「幽遠山深固院」として別地に再興しましたが、明治初期の廃仏毀釈により、再び廃寺となりました。その跡地には、元文5年(1740)に吉利領主の小松清香が建立した石碑があり、碑文には、この大蛇の伝説が記されています。令和7年は巳年。蛇にまつわる逸話でした。
日置市指定史跡「深固院跡」内「幽遠山深固院碑」(日置市日吉町吉利)
深固院の由緒などを記す石塔で、亀趺と呼ばれる台座には亀がかたどられ、全碑文を読み上げると亀が動き出すとの言い伝えもある。
▽参考図書
『三国名勝図会』、『開山石屋禅師と福昌寺』(石屋禅師遠忌奉修会)、『日吉町郷土誌』上巻(旧日吉町)、『吹上町発足30周年記念吹上町の文化財と神話・伝説』(旧吹上町教育委員会)、『鹿児島県史料』「旧記雑録拾遺諸氏系譜1」(鹿児島県)※『三国名勝図会』では、石屋が妙通寺(本市吹上町永吉の天昌寺跡)を創建し、同寺の住職であった際に久多島神が女性に変身して参禅したとある。久多島は、吹上浜永吉川河口(同吹上町永吉)から西の約12キロメートルの東シナ海沖合にある無人島。同河口の北岸には久多島神社が鎮座している。また、吉利領主禰寝氏は、清香の代に小松氏に改号していた。
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