文字サイズ
自治体の皆さまへ

深発見 さつませんだい歴史文化遺産

3/27

鹿児島県 薩摩川内市

薩摩川内には長い歴史の中で起きた物語、育まれた文化が数多くあります。
このコーナーでは、数ある薩摩川内の歴史・文化の中から、とっておきのトピックスをご紹介します。

■第拾伍(じゅうご)回
国内4カ所のみ伝わる古典芸能
東郷文弥節人形浄瑠璃(とうごうぶんやぶしにんぎょうじょうるり)
東郷地域で古くから演じられ、人々に親しまれてきた人形浄瑠璃。その歴史と継承の取り組みについて紹介します。

○人形浄瑠璃の成り立ちと変遷
人形浄瑠璃は、「人形」「語り(太夫(たゆう))」「三味線」で構成される、能や歌舞伎と並ぶ日本を代表する古典芸能です。
奈良時代から平安時代頃、中国が起源とされる「傀儡子(くぐつ)」と呼ばれる人々により広められた人形芝居を原形とし、江戸時代に三味線と語りによる劇場音楽と結びついて生まれたといわれています。
貞享(じょうきょう)2年(1685)に竹本義太夫(たけもとぎだゆう)の語りによる『出世景清(しゅっせかげきよ)』(近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)作)が上演され、登場人物の性格や行動を情豊かに語る演劇性が広く人気を博しました。
これを境に物悲しさと素朴な力強さが特徴の「古(こ)浄瑠璃」と、登場人物の情を豊かに表現する「新(しん)浄瑠璃」に分かれます。新浄瑠璃は後に植村文楽軒(うえむらぶんらくけん)が継承し、「文楽」と呼ばれ、浄瑠璃の代名詞のような存在となっていきます。

○東郷で継承された古浄瑠璃
現在、東郷で受け継がれている「東郷文弥節人形浄瑠璃」は、竹本義太夫が出る以前、岡本文弥(おかもとぶんや)が興した「文弥節」という古浄瑠璃の一つで、人形浄瑠璃創始期の原形を留めているものです。「文弥節」は、国内でも新潟県佐渡市、石川県白山市、宮崎県都城市と、本市の4カ所のみ残される極めて貴重な芸能で、いずれも国の重要無形民俗文化財に指定されています。
いつ頃から東郷で始められたかは明確ではありませんが、『東郷町郷土史』によると、元禄(げんろく)11年(1698)の参勤交代に随行した東郷の武士が、文弥節の師匠を連れ帰ったのが始まりといわれています。伝承されてきた17躰(く)の人形のうち「東雲(しののめ)」の頭の内側には寛政(かんせい)元年(1789)大磯作也(おおいそさくや)作、また別の人形には慶応(けいおう)2年(1866)と作者の墨書が記されている頭部もあり、この頃には既に演じられていたことが分かります。
太平洋戦争での上演中断や、演目正本の焼失などもありましたが、戦前から戦後にかけて、現在は紛失している演目原本を20冊の写しとして残しました。その写しと古老の記憶を頼りに、現在、『源氏烏帽子折(げんじえぼしおり)』初段の『卒塔婆引(そとばびき)』、二段目『常盤御前雪(ときわごぜんゆき)の段(だん)』、三段目『鞍馬下(くらまくだ)りの段(だん)』が復活し、保存会の皆さんが練習に取り組まれています。

○未来への継承
古くは、斧渕の諏訪神社で奉納上演されたり、収穫時の村祭りなど娯楽やお祝いの席で上演されたりしていました。
新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、近年中断されていた定期公演が本年から再開され、年3回(7月・11月・3月)予定されています。
また、平成8年には「子ども人形浄瑠璃」が結成され、現在は東郷学園義務教育学校で継承を目的とした学習の取り組みが行われています。

文責・問合せ:社会教育課文化財G(中央公民館内)
【電話】22-7251

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒104-0061 東京都中央区銀座3-4-1 大倉別館ビル5階

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU