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深発見 さつませんだい 歴史文化遺産

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鹿児島県 薩摩川内市

薩摩川内には長い歴史の中で起きた物語、育まれた文化が数多くあります。
このコーナーでは、数ある薩摩川内の歴史・文化の中から、とっておきのトピックスをご紹介します。

◆第拾捌(じゅうはち)回 絶対に攻めたくない 難攻堅城(なんこうけんじょう) 清色城跡(きよしきじょうあと)
今年9月に、国史跡指定20周年を迎える「清色城跡」。
先人の知恵と技術が詰まった名城の魅力についてご紹介します。

○お城もいろいろ
皆さんは「お城」と聞いて、どんなイメージを描きますか。
やはり姫路城や熊本城など立派な天守閣がそびえるお城でしょうか。
「お城」の定義はさまざまで、鹿児島城のような天守閣のない「平城(ひらじろ)」や、丘陵や山に築いた「山城(やまじろ)」、函館の五稜郭(ごりょうかく)など、外敵から自地を守る要塞、砦、館などの建造物を指します。その数は戦国時代までに5万ほどあったといわれています。

○代表的山城「清色城」
シラス台地が広がる南九州では、「山城」が多く築かれています。
各地で武士による領地争いが起こり、攻防の拠点として多くの山城が築かれました。本市で現在確認されているもので、約100の山城があり、その中でも築城時とほぼ変わらず、往時の様子を物語るのが、入来地域の「清色城」です。
清色城の築城年代ははっきりしませんが、南北朝(なんぼくちょう)期の永和(えいわ)年間(1375~1378)と推定されています。
特徴は「堀切(ほりきり)」と呼ばれる、垂直に切り立った巨大な空堀(からぼり)を城内に幾本も築き、侵入して来る敵を上から狙い撃ち。ちなみに堀切の高い場所は20メートルを超え、近付けばその迫力に圧倒され、先陣を譲りたい気持ちになります。

○清色城の攻防
そんな清色城には、2度の島津(しまづ)氏との合戦の記録があります。
応永(おうえい)3年(1396)と応永18年(1411)に島津氏が清色城を包囲します。迎え撃つのは領主の入来院(いりきいん)氏。1度目は、島津氏が兵糧(ひょうろう)攻めを選択。入来院氏は城を脱出し、城は島津氏に奪われますが、後に入来院氏へ戻されます。2度目は、島津軍が攻め込みますが、なかなか攻め落とすことができず撤退します。これらの記録からも、攻め込むことが困難で堅固な名城ということができます。

○注目を集める清色城
昨今の刀剣ブームや山城ブームにより、さまざまなメディアが注目し、テレビや雑誌でお城が取り上げられています。
老若男女問わず、多くの方が訪れ、攻略記念に「城郭符(じょうかくふ)」がお土産として人気です。

○清色城攻略のお薦め
清色城内は簡易な散策道を整備していますが、元々堅固な山城ですので、動きやすい服や靴、水分など装備を整え、季節的には、ハチやマムシといった伏兵のいない冬場から春先がお薦めです。
ぜひ、清色城をはじめ、入来麓武家屋敷群、旧増田家住宅と薩摩の武士の息吹を感じる時間旅行に出掛けてみませんか。

文責・問合せ:社会教育課文化財G(中央公民館内)
【電話】22-7251

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