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市長独言No.81…種子島が比較の原点

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鹿児島県西之表市

「わたしの原点は種子島」と約60年もの間、民俗調査を続けた生涯をしのぶ「下野敏見展」が鉄砲館で1月末まで開かれています。下野先生は2022(令和4)年に92歳で亡くなった後、鹿児島市の自宅にあった取材ノート、写真、ネガフィルムなどの調査資料が遺志により西之表市に寄贈されました。市への資料搬入が一段落したのを機に、研究活動の原点となった種子島との縁について紹介する内容です。
先生は南九州市知覧町の出身で、1954(昭和29)年に鹿児島大学を卒業し、25歳で中種子高校、次いで種子島高校、伊佐農林高校などの教師を勤めながら民俗学の道を進みます。鹿児島大学に移り83(昭和58)年には教授となりました。
教職に慣れた二十代後半、地域の氏神祭りに誘われ、大踊・中踊・小踊を観て、歌詞、メロディー、服装、採り物(棒や扇子などの持ち物)の豊かさに魅せられました。そうして種子島で民俗の勉強を始め、島々や半島部をはじめ日本各地や外国などを訪れるとき、比較対象として、いつも種子島が念頭にあったそうです。
高度成長期に入るころ、古くさい、無価値と見られがちな民俗芸能について「今、記録しておかないと、この貴重な郷土文化は全部消え去ってしまうぞ」と考えて記録と継承、活用を訴え、「自分の郷土を再発見し、自分を再発見することにもつながります。それはまた、町づくり、島づくりにもつながると思われます。そして、生活の活性化につながります」と説いています。
残された膨大な資料は今後、整理、保存の作業が進められます。今回の展示会場には、著書、民具を説明する先生の映像のほか、取材で愛用されたカメラ7台も展示してあります。フィルム巻き取りレバー付きの機材から、調査、研究にかけられた年月がしのばれます。

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