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市長独言No. 93…「海の道」と天女ヶ倉

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鹿児島県西之表市

2025(令和7)年は「昭和百年」、種子島の国道58号は施行50年にあたります。西之表から島間までの県道55キロの国道への昇格が1974年11月に決定し、75年4月1日に運用が始まりました。鹿児島市から種子島、奄美大島を経て沖縄に至る「海の国道」です。
海の道からの連想として、私は日本離島センターにより「しま山百選」に選定された種子島の天女ヶ倉(あまめがくら)(標高238メートル)を思い浮かべます。全国93島から百山の一つに選ばれた天女ヶ倉には、言い伝えがあります。昔、天狗が大きな岩を背負い、種子島の北端から南へ運ぶ途中に立ち寄って一休みしたとき、しばっていた縄が切れたので岩を残して去りました。その後、岩は天女ヶ倉神社の御神体として大切に祀られました。その神様は神楽が好きな天女であったとも伝えられます。(「種子島パワースポット」から)。
頂上にある巨岩の周辺は今も信仰の対象であり、世界遺産になった沖ノ島(福岡県宗像市)の祭祀遺跡の巨岩によく似ています。沖ノ島は自然崇拝を元にした祭祀が4世紀以来現代まで続いていることや、航海安全と結びついているのが特徴とされています。毎年10月に開かれる「みあれ祭」は、宗像大社を構成する沖津宮(沖ノ島)と中津宮(宗像大島)、辺津宮に祭られる3女神が年に一度集まる海上神事で、多数の漁船が女神の御座船を囲んで海上を行進する勇壮な祭りです。
天女ヶ倉は眼下に安納、現和などのサトウキビや安納いもの畑が広がります。頂上付近からは太平洋だけでなく東シナ海や馬毛島も望み、近くには庄司浦など古くからの港があり、風本神社は航海安全の神様として知られます。島を統治した種子島家は琉球との交易をしました。鉄砲まつりは戦後、「港まつり」から発展してきましたが、改めて海の道の歴史を思います。

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