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【郷土史への扉】勧業知事と草競馬

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鹿児島県霧島市

いよいよ「燃ゆる感動かごしま国体・かごしま大会」が始まり、市内でもいろいろな競技が行われます。その中の一つである馬術競技は、旧町営牧園牧場跡地に隣接する牧園特設馬術競技場で行われます。
天高く馬肥ゆる秋、今回は霧島市と馬との関わりの一端について触れたいと思います。

■勧業知事
明治27(1894)年、西南戦争後の混乱や対立が続き、県政が空洞化していた鹿児島県に知事として赴任してきたのが、上総国一宮(かずさのくにいちのみや)藩の最後の藩主・加納久宜(ひさよし)子爵です。加納知事は就任後に県内をくまなく巡視し、殖産興業やインフラ整備、小学校就学率の向上などさまざまな改革を実施。農業・水産・土木・教育などの事業を積極的に推進し、鹿児島の近代化と発展に大きな功績を残しました。勧業知事とも称され、かごしま県民交流センター(鹿児島市)の前庭に顕彰碑が建立されています。

■国立九州種馬牧場
子どもの頃から乗馬が好きで、白馬に乗って通勤していたという加納知事は、馬の品種改良にも取り組みます。
全国で2カ所作られることになった国立の種馬牧場の誘致に奔走し、明治29(1896)年、牧園町高千穂に設置が決定。広大な牧場は軍用馬などの種馬供給を担い、県産馬の基礎を確立しました。明治40(1907)年に馬政局鹿児島種馬所、昭和21(1946)年には農林省鹿児島種畜牧場と変遷する中で、馬だけでなく牛や豚なども育てるようになり、南九州の畜産指導の拠点となりました。

■濱之市(はまのいち)競馬會(かい)・日當山(ひなたやま)競馬場
加納知事が産馬業などへの功績を称えた人物に、隼人町浜之市の山内仲兵衛(ちゅうべえ)がいます。多くの馬を購入し改良を図り、明治22(1889)年には私財を投じて濱之市競馬會という競馬場を開きました。その後、姶良郡畜産組合が隼人や加治木で競馬を開催。誘致により大正7(1918)年頃に日当山村東郷川原(現・日当山温泉公園)に日當山競馬場が造られました。春と秋の年2回開催された競馬。牛馬の競り市も行われ、温泉客や郡内外の人の娯楽であるとともに、畜産の発展に大きく貢献しました。

■霧島競馬
昭和25(1950)年に牧園町にあった種畜牧場が廃場になった後、町営牧園牧場が発足。牧場内に馬場が整備されると、ここで馬術大会が開催されるようになりました。
その馬場で、昭和49(1974)年から行われるようになったのが霧島競馬です。毎年4月29日に開催され、県内はもとより宮崎県からも馬が参加。競走馬の本格的なレース、農耕馬がそりを引き競う大迫力のばん馬レース、かわいいポニーレースなどがあり、多くの観客でにぎわいました。
町営牧場は平成8(1996)年に廃止されましたが、跡地近くの霧島高原乗馬クラブでは誰でも気軽に乗馬を楽しむことができますので、訪れてみてはいかがでしょうか。
スポーツの秋、国体・大会に全国から参加される選手の皆さんのご活躍を心から祈念します。
(文責=堀之内)

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