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【郷土史への扉】薩摩か大隅か

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鹿児島県霧島市

市民から、霧島市は薩摩なのか、大隅なのか分からないという質問がありました。薩摩・大隅とよく聞くけれど、ちょうど真ん中の霧島市はどちらに当たるのでしょうか。ここでは四つの考え方をお示しします。

■旧国名
県が置かれた廃藩置県より前の奈良時代から江戸時代まで、各地域は「国」という行政区域に分けられ、鹿児島は薩摩国と大隅国の二つに分かれていました。薩摩国と大隅国の境目は、南は白銀坂(しらかねざか)(鹿児島市と姶良市の境目)、北は横川の高木地区(さつま町との境目)辺りです。高木地区にはかつて境を分ける「境木」があったとされ、今は看板だけがその跡を残します。境より東の霧島市域は大隅国の範囲でした。
和銅6(713)年に大隅国が建国された際、国府(今でいう県庁)は国分の府中町につくられたと考えられています。奈良時代には各国に建立された国分寺も建てられ、国史跡「大隅国分寺跡」として残っており、「国分」の基となりました。大隅国にとって霧島市域は中心的な場所だったのです。

■行政の地域名
現代の考え方として、鹿児島県が県内の市町村のまとまりを、鹿児島地域、南薩地域、北薩地域、姶良・伊佐地域、大隅地域、熊毛地域、奄美地域の七つの行政範囲の区域に分けています。
知っての通り、霧島市は姶良・伊佐地域に属します。大隅地域は霧島市より南の垂水市や曽於市から、県本土最南端の南大隅町までの地域を指します。

■半島名
地理的には、三方を海に囲まれている場所を半島と呼びます。鹿児島県には薩摩半島と大隅半島があり、霧島市はどちらの半島に含まれるでしょうか。国の「半島振興法」という法律に基づく半島振興計画で指定されているのは、薩摩半島は「鹿児島市・枕崎市・指宿市・日置市・いちき串木野市・南さつま市・南九州市」、大隅半島は「日南市・串間市・鹿児島市(桜島)・鹿屋市・垂水市・曽於市・志布志市・大崎町・東串良町・錦江町・南大隅町・肝付町」です。霧島市はどちらの半島にも含まれていません。

■天気予報
天気予報を出す際の地域区分は、気象庁が独自に設定しています。県本土を大きく地域分けすると、薩摩地域、大隅地域に分けられます。この区分では、霧島市は薩摩地域に設定されています。

■結局のところ
以上、四つの考え方をお示ししましたが、どれも違う結果となりました。霧島市を形容する際、「鹿児島県本土の中央部」「錦江湾奥部」と言われるように、薩摩半島と大隅半島の間にあるので、これほどややこしくなっているのだと思います。
霧島市が薩摩か大隅かについては、場合分けをして(1)昔の国名だと大隅国であり、(2)県の地域分けでは姶良・伊佐地域、(3)薩摩半島と大隅半島どちらでもなく間にあって、(4)天気予報を見る際には薩摩地域ということになります。
(文責=小水流)

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