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【郷土史への扉】縄文時代の調理法

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鹿児島県霧島市

たき火で調理すると、いつもよりおいしそうに見えませんか。人類は火を扱えるようになったことで生活の幅が広がり、文明を作ることができたと考えられています。今回は、上野原遺跡から分かる、縄文時代の調理法を紹介します。

■集石遺構
上野原遺跡は、約1万600年前の縄文時代に人々が定住したムラがつくられたことが分かる遺跡です。上野原縄文の森の復元集落には、たくさんの石がまとまって置かれている場所があります。これは縄文時代の遺跡の多くで見られるもので、大小多くの石が意図的に集められていることから集石遺構と呼ばれています。上野原遺跡だけで39基の集石遺構が見つかり、石には焼けた跡や炭が残るものがあることから、調理施設だと考えられています。大きな葉っぱで包んだ肉や魚などの食材を、焼いた石の間に入れて上に土をかぶせ、蒸し焼きにして調理していたと考えられます。

■連穴土坑(れんけつどこう)
上野原遺跡で有名なものとして連穴土坑があります。土坑とは地面に掘り込まれた穴のことで、いろいろな形や大きさがあります。それ単体では、木の実やイモなどの食料を蓄えたり、死者を埋葬することに使ったりしたものと考えられます。上野原遺跡では大きい穴と小さい穴がトンネルでつながった連穴土坑と呼ばれる土坑が16基発見されました。
連穴土坑の中には、トンネル周辺が赤色やオレンジ色に変色した部分がみられるものがあります。大きい穴で火をたき、トンネルを通って小さい穴の方へ抜ける煙を利用し、肉や魚などの食材を燻製(くんせい)にするために使われていたと考えられています。
肉や魚などは、燻製にすることで煙の殺菌成分が浸透し、水分が抜けて保存性が高まるので長期保存ができるようになります。1万年以上前から保存食のための技術が確立されていた証拠と言えるかもしれません。

■縄文時代の調理法
発掘によって遺跡からさまざまな物や活動の跡が発見されますが、これらがどのように使われていたのかすぐには分かりません。それらの考古資料の使い方を推定するため、実験的方法を用いる実験考古学によって、集石遺構や連穴土坑の使い方も推測されてきました。これにより縄文時代においても、料理は焼いたり土器で煮たりするだけでなく、蒸したり、燻製にしたりと幅広い調理方法があったことが考えられます。
今回は縄文時代の調理法に焦点を当てましたが、食を通じて郷土史をみると、昔の人たちの姿が身近に思えてきませんか。上野原縄文の森では、燻製作りや焼いた石を利用した石蒸し料理などの調理方法を再現することもできます(団体利用に限る)。この秋、上野原縄文の森で縄文時代を体験してみてはいかがでしょうか。
(文責=小水流)

◇縄文時代を体験しよう
火おこしや弓矢作りなどさまざまな体験ができます。詳細は問い合わせるか上野原縄文の森ホームページをご覧ください。
場所:上野原縄文の森体験学習館ほか
利用時間:午前9時~正午、午後1時30分~4時30分
休園日:月曜(祝日の場合は翌日)、12月30日~1月1日

問合せ・申込先:上野原縄文の森
【電話】48-5701

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