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【郷土史への扉】光る石へ〜石体事件と伝説〜

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鹿児島県霧島市

源氏物語の作者・紫式部の生涯を描いた大河ドラマ『光る君へ』が始まりました。ところで、霧島市には「光る石」伝説があることを知っていますか。
鹿児島神宮の近くにある石體(せきたい)神社は、古くから石體宮(しゃくたいぐう)と呼ばれています。ある由緒書によると、山から石がなだれ落ち、金色に光る巨石が現れました。神官がこれを祭ると、八幡の神が石を体として現れたという神託(神のお告げ)があったことから、石體(体)宮ができたという伝説が残されています。

■石体事件
この伝説の基になったと考えられる、事件があります。天承2(1132)年4月、大隅正八幡宮(しょうはちまんぐう)(現・鹿児島神宮)から北東へ300メートル離れた場所に「八幡」の文字が刻まれた二つの石が現れました。八幡とは、大隅正八幡宮の当時の祭神である八幡神のことで、神様の名前が急に現れたこの出来事は「奇特之事」として大隅国府から(※)大宰府、朝廷へと報告されました。当時の朝廷は、神様の名前が現れたこの事件を崇徳(すとく)天皇の皇子が誕生する吉兆であると結論付けました。
この事件は記録として残っており、公的な事件として処理されました。八幡神社の総本宮は大分県にある宇佐八幡宮(現・宇佐神宮)ですが、この石の登場により大隅正八幡宮こそが八幡神発祥の地であると主張します。これが大隅「正」八幡宮と名乗るゆえんです。当時、南九州においては島津荘(しまづのしょう)が勢力を拡大していたため、それに対抗するために大隅正八幡宮の権威を増大させることを狙った出来事なのではないかと考えられています。

(※)九州地方を治めた行政機関

■十三塚につながる伝説
石體神社の伝説は書物や言い伝えにより数多くあります。その中の溝辺地域に伝わる伝説を紹介します。
大隅正八幡宮が八幡神の発祥を唱えると、宇佐八幡宮の神官が調査にやって来ました。宇佐の神官らが火を付けると、石が割れて「正八幡」の文字が出てきた(一説には、煙が「正八幡」の文字となった)ため、神官らは恐れおののいて溝辺地域まで逃げ出しました。しかし、そのうち13人はその場所で神罰によって倒れ、1人だけが生き残り宇佐に帰れたそうです。この13人を弔う塚(墓)が作られたので、鹿児島空港周辺を十三塚原と呼ぶようになりました。言い伝えられてきた伝説を途絶えさせないよう、昭和12年に崎森青年団によって石碑が建立され、現在は十三塚史跡公園となっています。

■光る子宝への期待
現在、石體神社は安産祈願の聖地として有名です。なぜ安産なのか。その理由は現在の鹿児島神宮の祭神である山幸彦に由来する説や、八幡神とされる応神天皇の母・神じん功ぐう皇后の伝説からなど諸説語られます。崇徳天皇の皇子が生まれる吉兆と考えられた石体事件も関係あるのでしょうか。実際に起こった事件が、後にいろいろな伝説として語り継がれていく中で、神々しい石が光り輝く子宝を連想させたのかもしれません。
光り輝く次の世代へも、さまざまな歴史が語り継がれますように。
(文責=小水流)

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