川井田 博さん(80)
鹿屋市出身。学生時代はボート競技に熱中。昭和47年開催の太陽国体では、県強化指導員として、県立福山高等学校を全国制覇に導いたスポーツマンの顔も持つ。国分在住。
古くは万葉集にも詠まれ、初夏の夜に淡い光を放ちながら乱舞し、見る人を幻想的な世界にいざなうホタル。その小さな光に魅了され、国分清水で保全活動に取り組むのは、清水ほたる愛好会事務局長の川井田博さん(80)です。
大学の畜産学科を卒業後、水産会社での勤務を経て母校の大学院に進学し、さらに畜産学を学んだ川井田さんは、鹿児島県畜産試験場に就職します。今では鹿児島県が誇る特産品となった黒豚の研究に一貫して取り組み、業務をこなしながら3年がかりで書き上げた論文で昭和61年、県の畜産界で初となる農学博士の学位を取得しました。当時は見向きもされなかったという黒豚の肉のうまさを科学的に解明した川井田さんの研究は、県内の畜産関係者に大きな影響を与えたと当時の新聞でも報じられました。
現役時代に黒豚の研究に没頭した川井田さんは平成20年、一転して環境問題に関わる有識者らと9人で霧島環境研究会を設立。活動の柱としてホタルの保全に取り組み始めます。繁殖に適した場所を探し回り、国分清水の天御中主(あめのみなかぬし)神社(北辰神社)にたどり着くと、次に研究会のメンバー数人と住民ら26人で清水ほたる愛好会を立ち上げて同神社の敷地に池と水路を整備し、川井田さんが保全活動の師と慕う人から譲り受けた貴重な幼虫250匹を放流するなど、繁殖活動を本格化させます。平成24年からは川井田さんら会員数人が繁殖用に捕獲した成虫を自宅で交尾・産卵させ、ふ化した幼虫の放流を繰り返し、その数は毎年千匹を超えるほど。中でも大変なのが繁殖用の成虫の捕獲で、夜中に山奥の田んぼややぶ、用水路などで行う作業は危険も伴う重労働。「大半が70歳を超える会員にとって、繁殖用の成虫の採取は特に苦労しました。なんとかしようと令和2年に作ったのが、人工羽化装置です」と振り返る川井田さんは、飼育実績が豊富なホタルの展示施設などの助言も受け試行錯誤を重ね、、3年かけて完全養殖に成功しました。
「保全活動も、数が多かったね、少なかったねというだけでは記録が残らないし面白くない。せっかく苦労するなら科学的なデータを取って後世に残すことが重要だと仲間と話し、取り組んできました。分からないことはとことん研究して知りたいという欲求は、黒豚の研究の時から変わらないですね」と笑顔を見せる川井田さんに今後の目標を尋ねると「日本のホタルの生息地域は6つに分類され、地域が異なる個体間の繁殖は難しいといわれているので、検証してみたい」と即答。探求心は尽きません。その目に輝く情熱の光は、たくさんのホタルとなってこれからも見る人の心を癒やし続けることでしょう。
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