◆治田村(北勢町)
明治22年に、奥村、麓村、垣内、東村、別名、新町と中山の7カ村で治田村が誕生しました。治田地区は、平安中期の書物によると近江の国浅井(あざい)郡治田郷の人々が山を越えて移住してできた集落と書かれています。
各地の名前には、それぞれ由来があります。奥村は、深い山に囲まれていることからその名が付けられました。麓村は、寺山や城山の麓に位置するのが名前の由来です。垣内は、垣で囲まれた土地を表し、治田郷の総宮賀毛神社の鎮座地であることから、神垣を表していると考えられています。東村は、郷内の東に位置し、かつて東友(おきとも)と言われていました。別名は、この土地を開墾した人々が、別の場所に居住していたことから付けられました。新町は慶長(1596~1615)の初めごろ、鉱山の開発のために移り住んだ人々で形成された村です。中山は、治田村と丹生川村の中間に位置したためその名が付けられました。中山には、安行寺があり、その鐘楼堂(しょうろうどう)には、桑名城の本丸と三の丸御殿の唐破風門(からはふもん)が移築されています。
〇新町神社の手洗い鉢(北勢町新町)
この鉢は、河川工事中に青川で発見されました。本来は、鉱山の鉱石を砕く臼として使われていました。
執筆:ふるさといなべ市の語り部の会
問合せ:ふるさといなべ市の語り部の会 伊藤忠
【電話】090-3583-2827
<この記事についてアンケートにご協力ください。>