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伊賀市の文化財146

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三重県伊賀市

■秋永康年旧蔵の土符
秋永康年は長く大村神社の宮司を務められるとともに、著名な郷土史家でした。秋永が所蔵していた資料は、旧青山町内の古墳出土品や、古代から中世にいたる軒瓦が大半を占めます。市教育委員会が寄贈を受けた資料の中に土符一点が含まれています。
土符は北伊賀地域に特有の考古資料で、出土地のわかるもののほどんどが新居・三田・府中地区に所在し、数点が隣接する長田・中瀬地区のものです。土符は伊賀市の中でも限られた地域で用いられた陶製品であり、どういった経緯で秋永が土符を入手したかは、今となってははっきりしません。
土符は小さな板状の陶製品で、どういった目的で使用されていたのかは詳しく分かっていませんが、両面に文字が刻まれていることに特徴があります。一方の面には「米」「馬」「人」「銭」といった文字と、花押(サイン)が刻まれています。また、もう一方の面には年月日が刻まれ、月日は「十月日」と刻まれるものが大半です。
こういった一般的な土符の特徴を理解した上で、図に示した土符を見てみると、一方の面には「米・人・花押」が刻まれ、もう一方の面には「十月日」の文字が見えることがわかります。
ここで、「十月日」の右側に刻まれた年号をどう読むかが課題となります。一文字目は欠損している部分が大きく判読できませんが、次の文字は「永」の可能性が高いと思われます。また、次の三文字は「十一年」と読めそうです。
これまでに確認された土符に記された年号は、年代的に限定されていて、応永20(1413)年から天正10(1582)年までのものです。この間で、十一年が存在する年号は限られ、「応永」「永享」「文明」「永正」「天文」「永禄」「天正」が候補となります。ただ、二文字目の合致するのは「応永」だけで、こういった点から考えると、この土符が書かれた年月日は「応永十一年 十月日」の可能性が高いと考えられます。
今回、資料の再調査を進める中で、応永11(1404)年銘を有する土符の存在を浮きあがらせることができました。出土品を丁寧に見ていく中で、新たな「秘蔵」の資料が発見されるかもしれません。

問合せ:文化財課
【電話】22・9678【FAX】22・9667

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