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ナバリノ魅力Labo2

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三重県名張市

■幕末のリアルがここにある。
名張には、幕末から明治にかけて活躍した熊本出身の生人形師、安本 亀八(やすもと かめはち)(初代/1826~1900年)の作品が数多く残されている。
亀八の肖像彫刻について「少し控えめな表情で品があり、人間らしさが表現されている」と評するのは、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の仏教美術考証も行った群馬県立女子大学の塩澤寛樹教授。今年3月、名張藤堂家邸跡で講演いただいた。

■ご先祖さんたちが集まった
医師の「横山文圭像」、荒物(あらもの)商の「岡村甚六像」、酒造業の「角田半兵衛・みか夫婦像」̶̶。3月25日、「はなびし庵」(中町)で、安本亀八作の肖像彫刻が顔をそろえた。いずれも幕末の名張に実在した人物がモデルとなっている。
「ご先祖さんたちが、まるで、井戸端会議に出向いてきてくれたよう。肖像のモデルの子孫は、私たちと今も親しいご近所さん。長年の構想がようやく実現した」。
そう話すのは、「はなびし庵」の角田勝・久子夫妻。亀八作の夫婦像を、町家の書院造の座敷で一般公開したり、夫婦像にまつわる影絵を上演したりと、肖像彫刻を生かして、まちの活性化に取り組んでいる。

■名張に残される多彩な作品
安本亀八の作品展示を監修したのは、群馬県立女子大学の塩澤寛樹教授。同日、名張藤堂家邸跡で講演いただき、「亀八は、肖像や仏像、能面、絵画など、幅広い分野を手掛けた才能の持ち主。名張はそんな亀八の多彩な作品が数多く残り、肖像のモデルの子孫も住んでいるという他にない貴重なまち」と強調した。
熊本出身の安本亀八は、浅草や大阪の見世物興行などで活躍した生人形師で、同時期に活躍の松本喜三郎とならぶ人形芸術の草わけとされる。しかし、作品の多くは関東大震災や戦災で失われてしまった。塩澤教授によると、亀八が名張を訪れたのは、幕末の1860年ごろ。地元の商家などに身を寄せながら、2年ほど滞在し、肖像彫刻や絵画など、数々の作品を手掛けたという。
講演の前日、新たに亀八作の肖像彫刻が見つかった。全国に20体あまり現存する亀八の肖像彫刻のうち、名張で見つかったのは、実に8体目となる。塩澤教授は、「旧家の多い名張のまちには、亀八の作品がまだ眠っているはず」と期待を込める。「調査研究とともに、亀八が活躍したまちと作品が残され、名張のまちが発展していくことに少しでも貢献できれば」と講演を締めくくった。

問合せ:文化生涯学習室
【電話】63-7892

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