■江戸時代の東海道を偲(しの)ぶ「道標」
江戸時代の四日市は、東海道五十三次の43番目の宿場町「四日市宿(しゅく)」として栄えました。当時(天保年間1830~1844年)の記録によると、現在の中部地区には、旅籠(はたご)が98軒あり、東海道でも有数の宿場であったとされています。東海道に沿って、三滝橋から宿の中心である「札(ふだ)の辻」までを北町、以南を南町、辻から西を西町、東を立町とし、辻には高札場(こうさつば)、本陣、問屋場(といやば)などの宿の主な施設が集まっていました。
現在、江戸時代を偲(しの)ぶものが徐々に少なくなる中、国道1号を諏訪神社と挟んだ北東(南町)に道標が立っています。
高さ2.2mの道標には「すぐ江戸道」「文化七庚午冬十二(ぶんかななかのえうまふゆじゅうに)月がつ建たつ」「(右)京いせ道(左)ゑどみち」「すぐ京いせ道」と刻まれています。この道標は、戦後に地元の人たちにより複製されたものですが、元の道標はこの道標より北にあった「札の辻」に立っていました。
この道標から、往時の東海道のにぎわいに思いをはせてみませんか。
問合せ:文化課
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