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自治体の皆さまへ

あなたはどれだけ知ってる?藤堂高虎(とうどうたかとら)vol.1

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三重県熊野市

■『高虎サミットin熊野!』
令和6年度に武将・藤堂高虎とゆかりのある市町と交流を深める「高虎サミット」の開催を予定しています。このコーナーで藤堂高虎について一緒に学びましょう!

藤堂高虎は、戦国時代を生き抜き、外様大名(とざまだいみょう)※(1)でありながら、徳川家康とともに泰平の世を築いた名武将の一人です。
藤堂高虎と言えば、携わった城の多くが国や県の史跡に指定されるなど歴史的建造物を手掛けた築城の名手として知られ、居城としての津城や今治城、天下普請(てんかぶしん)※(2)として縄張り(設計)した二条城など、生涯にわたって20余りの築城に携わっています。
その中でも、当時は北山地方といわれた紀和町の赤木城は、豊臣政権の木材確保と一揆鎮圧の拠点として、30歳を少し過ぎたばかりの藤堂高虎が築いたといわれており、現在は「赤木城跡及び田平子峠刑場跡」として国の史跡に指定されています。
赤木城跡は、建屋そのものは現存せず、規模も決して大きいものではありません。しかし、中世と近世の築城法を併用し、石垣や堀切など当時の原形を残した城跡は、全国的にも少なく、高虎が造った城の原点であるといわれることもある貴重な史跡です。現在では続日本100名城にも選ばれ、マスコミにも取り上げられるなど、今やこの地域だけでなく、全国的に名の通ったかけがえのない文化的遺産となっています。
これから、高虎サミットin熊野に向けて、より多くの市民の皆さんに赤木城を知っていただくとともに、その築城に携わった藤堂高虎の人物像について紹介していきたいと思います。
※(1)外様大名…関ヶ原の戦い前後に徳川家に従った大名
※(2)天下普請…江戸幕府が全国の大名に命令した築城などの土木工事

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