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あなたはどれだけ知ってる?藤堂高虎(とうどうたかとら)vol.2

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三重県熊野市

令和6年度に熊野市で開催する高虎サミットは、藤堂高虎ゆかりの市町との交流を深めるまちづくりの祭典です。
今回は築城の名手として有名な藤堂高虎の城づくりの一端を紹介します。

■今治城〔愛媛県今治市〕
関ケ原の合戦で功績のあった高虎は、徳川家康に大いに認められ、伊予半国20万石の領主となりました。
古くは水軍の本拠地だった今治は、瀬戸内海に面した港町で、高虎はここに大規模な海城を築きました。
海水が引かれた広大な堀は、城郭を中心に「回」の字のようになっており、港の機能も合わせ持つ日本屈指の海城となりました。

■津城〔津市〕、伊賀上野城〔伊賀市〕
津城は、元々、織田信包※(1)が築きました。今治から伊賀・伊勢22万石への国替えを命じられた高虎は、津城を大改修し、城下町を整備しました。
北に位置する安濃川、南の岩田川を天然の外堀として大規模な平城(ひらじろ)※(2)とした津城は、武家町・町人町・寺町が計画的に配置された近世の城郭の先駆けだったと言えます。
藩庁である津城の支城として、同時期に高虎が大改修をした城が伊賀上野城でした。元々あった本丸を拡張し、約30mの高石垣を新たに積み上げるなど、西国大名への前線基地として整備されました。
これら三つの城は、1600年の関ケ原の合戦以降、いずれも徳川家康の命令により築かれたもので、高虎が携わった年代は、経験を積んできた40代半ば以降でした。
赤木城の築城は、1589年頃と言われています。当時、豊臣秀長※(3)の代官として北山入りしていた高虎は、30歳を少し過ぎたばかりの駆け出しの武将でした。
赤木城の築城経験が、その後どのように活かされていったのでしょうか。
次回は、さまざまな城づくりで活躍した高虎を紹介したいと思います。

※(1)織田信包…織田信長の弟
※(2)平城…平地に築かれた城
※(3)豊臣秀長…豊臣秀吉の弟

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