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中村欣一郎市長の山椒(さんしょう)は小粒(こつぶ)でも… Vol.68

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三重県鳥羽市

あれ、いくつのときやった?

♪こんにちは、こんにちは、西の国から…1970年のこんにちは…
言わずと知れた1970年(昭和45年)の日本万国博覧会(大阪万博)のテーマソングです。複数歌手の競作としてレコードが発売されましたが、何と言っても三波春夫さんの一人勝ちでした。
岡本太郎さんが制作した太陽の塔は、折々に関連展示などが催されていると思いますが、特にこのごろよく目にします。月の石の展示には4時間以上の長蛇の列。私は並ぶより数を多く回りたい方なので、目玉の展示には目もくれず、なるべく並ばなくて済む中小のパビリオンに足を運びました。
万博のテーマは「人類の進歩と調和」。自動車館では、縦横6本ずつの碁盤目の上を20台ほどの自動車がうじゃうじゃと動いていて、それらが衝突することもなく目的地へたどり着く様子が、未来の交通像として表現されていたのを思い出します。まさに今、世間を賑わせている自動運転の先駆けのようなものだったんですね。
ほかには迷子ワッペンというものを利用しました。保護者の持つナンバー付の台紙から同じナンバーが付いたシールをはがして子どもの服やかばんに付け、迷子になったときの検索に役立つようにするものです。今の時代でいうところの認知症のかたの持ち物にGPS機器を付けて見守るのにつながっている気がしますね。
私の子どものころの思い出を書き連ねてしまいましたが、例えば1970年、あの時、自分は何歳だったか、みなさんはすぐに答えられますか?その目安になる出来事はありますか?私にとってその目安の一つが、1970年なのです。それは、小学校6年生のときに修学旅行で大阪万博へ行ったからです。1970年は11歳でした。
また、人生の節目としては、1999年(平成11年)です。青年会議所(JC)を卒業して市議会議員に立候補した年で、1999年は40歳でした。さらに、東日本大震災のあった2011年(平成23年)は52歳。県議会議員に立候補した年です。
さあ、次の万博は2025年(令和7年)の大阪万博です。2025年は私は66歳です。伊勢志摩へたくさんのお客さんに来てもらえるように、そこでどんなPRをしようか、作戦会議中です。みなさんにとって次の大阪万博は何歳の頃の思い出になりますか?

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