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文化財めぐり(446)

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京都府亀岡市

◆豊臣政権と亀山城下町
亀山城築城、あるいは城下町の整備というと誰を思い浮かべますか。
築城といえば、やはり明智光秀でしょうか。あるいは天下普請の際に城主であった岡部長盛や藤堂高虎の名前が挙がるかもしれません。城下町については、山鉾行事を再興し、現存町割りのもとをつくった形原松平氏に親しみを感じる方が多いかもしれません。
しかし、あまり知られていませんが、亀山城築城や城下町の整備には、実は豊臣秀吉の家臣たちが大きな役割を果たしていたのです。
江戸時代中期の成立と思われる、亀山城主の歴代を記した『亀山記』という史料には、(1)明智光秀から、(10)初代亀山藩主岡部氏までの城主について、(2)堀尾山城守(堀尾吉晴)、(3)羽柴小槻(羽柴御次秀勝)、(4)小吉少将(羽柴小吉秀勝)、(5)金吾中納言(小早川秀秋)、(6)石田治部少輔(石田三成)、(7)前田徳善院(前田玄以)、(8)北條左衛門(北條氏勝)、(9)権田小三郎の名前が列挙されています。このうち、(3)~(7)までの五名が豊臣秀吉の一族または重臣であり、亀山城が豊臣政権に重視されていたことがうかがえます。
詳細は次回以降に述べますが、亀山城や城下町の土台は彼ら豊臣政権下の城主によって造られたといえるのです。

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