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文化財めぐり(442)

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京都府亀岡市

◆戦国亀岡の様相(3)-つつじケ丘-
南つつじケ丘大葉台にある城山公園。休日には子どもたちの笑い声が響く公園の隅に、「浄法寺城跡」と記された石碑がひっそりと佇んでいます。戦国時代、この一帯は侍たちの怒号飛び交う山城でした。
宅地造成される以前、城跡の発掘調査が実施され、城主のいる本丸の東西に曲輪(くるわ)が配置される堂々とした縄張りが確認されるとともに、国産陶磁器や輸入陶磁器などが出土しました。
では、このように立派な城を築き、輸入陶磁器を扱えるような城主とは一体誰なのでしょうか。
江戸時代後期に成立した地誌類には、城主は「渡辺美作守(わたなべみまさかのかみ)」と記されますが、実在の人物かは長く不明でした。しかし近年、「渡辺美作守典」なる人物が署判した古文書が発見され、渡辺氏が実在することが確認されました。
渡辺美作守は俣野氏と連署し、一族が外畑村(とのはたむら)の権利を強奪しようとしたことを弁明しています。外畑村は、現在の京都市大原野に位置していたので、渡辺氏が亀岡南部から西京までの広い領域の支配を企図していたことがうかがえます。
浄法寺城が城跡公園のあたりに築かれたのも、ここが旧山陰道と外畑を結ぶ要衝だったためと考えられます。

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