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第30回長岡京ガラシャ祭 202311月12日(日)行列巡行(1)

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京都府長岡京市

■このまちで始まった、愛と感動の物語。
長岡京ガラシャ祭は、今年で30回目を迎えます。7月には、行列やパフォーマンス、出店などの参加者募集が始まります。祭りの主役は、市民の皆さん。あなたも一緒に30回記念をお祝いしませんか。

■覚えてる?知ってる?それとも初耳?ガラシャ祭豆知識
○1992年(第1回)市民のアイデアでガラシャ祭が誕生
「ふるさと創生事業」の一環で、市がアイデアを公募。市民が主体の催し「長岡京ガラシャ祭」が採用されました。第1回は約12万人が見物に訪れました。

○1996年(第5回)お玉ちゃん誕生
細川ガラシャ(お玉)のイメージキャラクターを全国に公募し、「お玉ちゃん」が誕生。服の部分は長岡京の頭文字「N」を表しています。第20回の節目に、着ぐるみとマスコットキャラクターも誕生しました。

○2008年(第17回)前日祭」から「ガラシャウイーク」へ
当初は前日祭と本祭の2日間の開催でしたが、「ガラシャウイーク」へと変わり、約1週間に延長されました。
今年は11月3日(金・祝)から、お祭りムードが楽しめます。

―HISTORY―
○戦国の世、
今から445年前、明智光秀の娘玉は、織田信長の勧めにより、光秀の盟友細川藤孝の長男細川忠興と結婚することに。長岡の地・勝龍寺城を目指して家臣と共に輿入れしました。
勝龍寺城では幸せな新婚時代を過ごしたそう。光秀が「本能寺の変」を起こした後は、苦難の道を生きましたが、人間愛と優しさの心を持ち続け、歴史の大きなうねりの中で強く生きた女性として語り継がれています。

○平成の世、
1992年、市の歴史遺産の1つ「勝龍寺城跡」を整備し、勝竜寺城公園が完成しました。それを記念し、「玉の輿入れを再現する行列巡行を開催しよう」という市民の提案を基に、ガラシャ祭は誕生しました。現在は、長岡第六小から勝竜寺城公園までの約2.7kmを約1,000人の大行列が歴史衣装で練り歩き、模擬店会場やステージショーなどで市内がにぎわいます。

○明智家
玉(ガラシャ)
16歳の時、忠興に嫁ぐ。本能寺の変後は、丹後味土野(みどの)地に幽閉されるなど、苦難な生活を送る。

玉の父・明智光秀
織田信長に仕え、京都の行政を担った。本能寺の変後、勝龍寺城を拠点に秀吉軍と戦う。

玉の母・明智熙子(ひろこ)
浪人時代の光秀を献身的に支えた。自身の髪を売って金を工面し、夫の面目を保ったという逸話も。

玉の侍女・清原マリ
玉にカトリックの洗礼を授けた。

光秀の家臣・明智弥平次(やへいじ)
武勇に優れた武将。光秀の死後、馬に乗って琵琶湖を渡り、対岸まで逃れたとする「湖水渡り」の伝説も。

○細川家
細川忠興(ただおき)
織田信長に仕え、摂津・播磨・丹波・丹後方面に転戦し武功を挙げた。信長の仲介を受けて玉と結婚する。

忠興の父・細川藤孝
光秀の盟友。勝龍寺城を当時最先端の城郭に改修した。本能寺の変後に出家し「幽斎(ゆうさい」」と名乗る。

忠興の母・細川麝香(じゃこう)
勝龍寺城の「沼田丸」は、実家、沼田家にちなんだもの。ガラシャの死に影響を受け、洗礼を受ける。

家臣・松井康之(やすゆき)
細川藤孝・忠興親子に仕えた、細川家の筆頭重臣。

○みんなの投票で記念ロゴが決定
市公式LINEでの投票で約2,500票(投票総数約6,400票)を獲得して選ばれました。

ガラシャ祭の詳細は10月号でお伝えします!

問合せ:長岡京ガラシャ祭実行委員会事務局(自治・共助振興室内)
【電話・FAX】959-1299

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