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《特集1》も〜っと知って欲しい 伊万里梨・伊万里牛(1)

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佐賀県伊万里市

皆さんは『食』に関する伊万里の特産品と言えば、何を思い浮かべますか。さまざまな特産品の中から、伊万里梨や伊万里牛と答える人が多いのではないでしょうか。
伊万里梨や伊万里牛は全国的にも有名で、ふるさと納税の返礼品としても人気が高く、伊万里を代表する特産品です。
これらの特産品には歴史がありますし、また、特産品を愛情を注ぎながら育てている生産者の姿があります。
今回の特集では、近年のウクライナ情勢がもたらした世界的な物価上昇や、異常気象などの影響を受けている中でも、生産を維持していくために生産者がどのようなことに取り組んでいるのかなどを紹介します。
特産品の歴史や生産者の声を聞いて、特産品をもっと知り、ぜひファンになってください。

■伊万里梨
▽伊万里梨とは
西日本有数の生産量を誇る伊万里梨は、豊かな果汁と歯ごたえが特徴です。時季によって実る品種が違っていて、そのときどきで美味しさを楽しむことができるのも特徴です。

▽歴史
伊万里梨の生産の歴史は古く、明治39年、大川町で立川区長の丸尾栄次郎さんや立川青年会長の藤田竹治さんが中心となり、換金作物を導入しようと、多久市から日本梨の苗木を購入し植えたのが始まりとされています。その後、病害虫被害など幾度も挫折を乗り越え、栽培技術の研究を積み上げて、南波多、松浦、波多津地区へと普及しました。
導入当初から昭和40年代前半まで栽培品種は『二十世紀』や『長十郎(ちょうじゅうろう)』などが主体となっていました。しかし、袋掛けなどの多くの労働力を必要とすることが経営拡大の壁となり、この当時の梨の栽培面積は100ヘクタール程度でした。昭和40年代後半に入ると農家の栽培技術が定着し、新しい袋梨品種(新水・幸水・豊水)が導入されました。また、米の生産過剰による減反政策が本格的に始まったことで、梨の生産量は飛躍的な伸びを見せました。当時、水田の圃場整備事業の条件として、水田から2割を永年畑地に転換することが求められたため、その畑地転換の導入作物として選ばれたのが梨やぶどうの落葉果樹でした。
平成4年には、出荷規格の統一や消費者へのアピールを図るために、伊万里の梨の銘柄を『伊万里梨』に統一し、販売を行うようになりました。
伊万里市内の梨の栽培面積の推移を見てみると、昭和45年の147ヘクタールが、昭和55年は405ヘクタールと増加して、ピーク時の平成2年には栽培面積が505ヘクタールに達しました。
現在は、栽培面積は減少していて、令和2年には163ヘクタールとなっています。

■生産者インタビュー
先を考えて今できることを始める
梨農家 田代正二さん(南波多町)

▽梨農家へ
元々は、嬉野市でトマト農家をしていました。結婚を機に、伊万里にやってきて、妻の実家の梨園を手伝うようになりました。

▽学び直し
これまで、トマト農家として生活していたので、基本的な農業の知識はありましたが、農業も畑が違えば必要となる知識も変わるもので、義父にさまざまなことを尋ねながら勉強を始めました。また、伊万里市農業協同組合の梨部会が行う研究員制度の長期研修を通じて、学ぶだけでなく他県で行われている栽培方法などを研究することができました。
現在、1.2ヘクタールの梨園があって、『ハウス栽培』、『トンネル栽培』、『露地(ろじ)栽培』という栽培方法をリレーする形で梨を作っています。品種は『幸水』や『豊水』、『あきづき』などを作っていて、一番多く作っているのは幸水です。

▽やることが目白押し
梨の栽培は1年を通して作業があります。土作りや枝を剪定(せんてい)したり、棚に枝をひもで縛る作業をしたり、開花した花の一つ一つに丁寧に授粉もします。ほかにも、いくつもなった実から育てる実を選ぶ摘果(てきか)という作業などを経て収穫に至ります。これらの作業は、機械ではできないため、人の手で作業する必要があり、大変な作業です。
少しでもおいしい梨を作りたいので、その他に若木作りに励んでいます。

▽老木化対策
老木化が進むと、実がなりづらくなったり、大きく育たなかったりするため、若い樹へ植え直す必要があります。しかし、成園(せいえん)(※1)まで10年ほどかかるので、一定の期間は梨の収穫ができなくなります。そのため私は、樹と樹をつなげる『ジョイント栽培』と言われる方法を取り入れ始めました。
ジョイント栽培は、成園まで3、4年と植え直したときと比べて短いことや、自分たちが作業しやすい形に枝を伸ばすことができるため、剪定や授粉の作業を効率化することができます。
(※1)ほぼ一定した生産量が得られるようになった梨園

▽当たり前ではなくなる
伊万里を代表するフルーツである伊万里梨は、当たり前にあるものではなく、生産者が減っていけば身近にある食べ物ではなくなってしまいます。園地や生産者は減っていて、特に後継ぎ問題は深刻なので、今後ますます対策を考えていくべきことだと思います。市内の野菜農家は増えているので、皆さんが一反(いったん)でもいいから梨を作ってほしいと思います。

▽未来を見据えて
私は『不易流行(ふえきりゅうこう)』という言葉を大切にしています。この言葉は、変わらないものの中にも新しい変化を取り入れるという意味で、今後も勉強を続けて、昔ながらの技術を大切にしながらも、今は取り入れていない栽培方法などを試していきたいと考えています。皆さんにおいしい梨を届けて行きたいです。

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