■史跡大川内鍋島窯跡調査事業〜日峯社下窯跡(にっぽうしゃしたかまあと)の調査成果(3)〜
江戸時代には窯を焚(た)く燃料は薪(まき)でした。一般的な製品は窯の中にそのまま入れて焼成していたため、製品に灰などが付着して売り物にならない場合もありました。このため高級品を焼成する場合はサヤバチ(ボシ)と呼ばれる桶のような入れ物に入れて、灰が付着しないようにしました。将軍家に献上する鍋島焼もサヤバチに入れて焼成されました。
写真はサヤバチのふたの内側に鍋島焼が溶着していることが確認できます。これ以外にも鍋島焼がサヤバチの外側の底に溶着したものなども出土しています。
これらのことからサヤバチの中で2段に置いたり、サヤバチの上に薄い円盤状のもの(ハマ)をのせてその上に製品を置いて、ふたをしたりするなど、図のように変わった窯詰め方法が行われていたと想定されます。10枚や20枚の一揃(そろ)え(組物)を焼成するためにこのような方法をとったのかもしれません。
※写真・図に関しては、本紙をご覧ください。
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